Sola Presents

粉ひき屋のおやじコゼツ(バース・コジェ)


粉ひき屋のおやじコゼツ(バース・コジェ)(フランダースの犬)


「あの若者はこじきも同然で」
──そもそも、人間なんかに善意を期待することがまちがってるのさ

児童文学におけるいちばんの悪役はだれだろう? あいつか? それともあいつか?
子どもにとって、「こいつは、ぜったい許せない」という作中人物は、その罪が法的にどうだこうだとは無関係。いかに自分が肩入れしている主人公を苦しめているか、この一点にしぼられている。
そういう意味で文句なしの「悪役」は、イギリスの古典児童文学『フランダースの犬』に登場する、粉ひき屋のおやじコゼツ。
舞台は、ベルギーの田舎アントワープ。ここは画家ルーベンスの生まれ故郷として知られており、貧しい村人たちも、唯一ルーベンスの名を自分たちの誇りとして生きている。
主人公の少年ネルロの祖父であるジェハン老人の口癖は、次のようなものだった。
「ネルロや、おまえが一人前のおとなになったとき、この小屋と、このわずかばかりの土地を自分のものにしてな、自分で自分の土地を耕し、村の衆から旦那と呼ばれる身分になってんだったら、わしも安心してお墓へいけるんだがのう」
そして、ジョハン老人に限らず、この村に生きる農夫たちの望みはみな、土地の一片でも自分のものにして、村じゅうから「旦那」と呼ばれることにあった。だれもがつましい生活を強いられたなかで起きた、悲劇の物語である。
さて、粉ひき屋のコゼツは、そんな村いちばんの金持ち百姓である(村いちばんといっても、大金を入れた財布を落としただけで家が破産の危機にさらされてしまうくらいだから、いわゆる「大富豪」ではないのだけれど……)。
コゼツは、ネルロの心の支えだった少女アロアの父親である。
「あの男の子を、アロアとあまりいっしょにしてはいかんぞ。あとでめんどうなことにならないともかぎらん。あの子はもう15だし、アロアだって12になる。ことにあの男の子は、顔も姿もきれいだからなぁ」
このセリフとともに、コゼツのネルロへの牽制がはじまる。大事な娘が傷物にならないようにという心配が次第にエスカレートして、「あの若者はこじきも同然で」ということばとともに少年の家への出入りを禁じ、粉屋の晩餐会にも招待せず、風車の火事の犯人をネルロと決めつける。このコゼツの仕打ちに同調するように、村人たちも、町への牛乳運搬の仕事をネルロからとりあげてしまう。これが、身体の不自由な老人を介護しながらのネルロとパトラッシュの生活を、いよいよ逼迫させてしまうのだ。
「自分たちが戸も心もしめ切って、パトラッシュに荷車を空のまま引いて帰らせることは、気がとがめるのでしたが、それにもかかわらず、そうしなければなりませんでした。コゼツだんなの気に入りたかったからです」
この描写を、幼い読者はどう受けとめるのか。村人たちの日和見な考え方を非難するのではなく、「やっぱり、あいつのせいだ!」とコゼツを憎む気持ちを募らせるはずだ。
ストーリーは、ネルロとパトラッシュの死で終末を迎える。しかし、このラストシーンはけっして非業の死なんかではなく、ルーベンスの絵に見守られ、天の玉座からこぼれてくるような月の光に包まれての昇天であった。 
コゼツは、「わしは、この子につらくしていた」と懺悔する。しかし、ネルロは口元にほほえみさえもたたえて、こう答える。
「もうおそい!」
この衝撃の一文を、幼い読者はどう受けとめるのだろうか。たぶん、見すごすのではなかろうか。
小学生のころの私もやはり、ネルロとパトラッシュが死んだというだけで大泣きに泣き、この一文を見落としていた。
いま「岩波少年文庫」でこの作品を読みなおすと、「う~ん……」である。(村中李衣)


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プロフィール


粉ひき屋のおやじコゼツ(バース・コジェ)

●悪行・罪状
監禁・保護責任者遺棄

●職業
粉ひき職人(農地管理)

●国籍
ベルギー

●年齢
不詳。12歳の娘がいることから、30代後半くらいか?

●出身地
不詳


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