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母袋夏生

呆然とし、昂揚した。「こういう描き方があったのだ」と感じ入り、語り手のドイツ少年に仮託してきびしく自己批判した著者に、この本を見つけだした訳者に、出版した版元に敬意をおぼえた。
ヘブライ文学とホロコースト文献の紹介をしたくて、やみくもに内外の書籍を読み漁っていたときだった。だから、ホロコーストの証言や文学をかなり読みこんでいたし、記録時の視点が特異なものの場合には、出版のあてもないのに訳していた。ときには凄まじい強制収容所の描写や数値に、ときには自己憐憫やナチス憎しの記述にうんざりしたりもしていた。
そんなときに手にしたこの本は、語り手のドイツ少年の目を通してはいるが、ナチズムのもつ“戦争の魔術”に四つに取り組んで、少年文学の域を超えた命題の重さを緻密に、誠実に記していた。いま読み返してもハッとさせられる。ひょっとしたら、初読のときよりもずっと切実に。それに、巻末にある詳細な註と年表が、本文のあるいは歴史の理解を助けてくれる点も相変わらずで、本書の特質である。
訳文の真摯さ、適確な日本語にも目をみはった。あのとき以来、訳者の上田真而子さんの訳書を探しては読むようになった。お手本にしたかった。訳文と同時に、訳したい本を選択する眼の養い方を、それぞれの訳書の「あとがき」などから学び、生き方までも学んだような気がする。そして、潔い人生や翻訳の師匠と私淑し、いまにいたっている。


●母袋夏生(もたい・なつう)
ヘブライ文学翻訳家。純文学から児童書・絵本まで。ウーリー・オルレブ『走れ、走って逃げろ』、タミ・シェム・トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(ともに岩波書店)、A. B. イェホシュア『エルサレムの秋』、D. シャハル『ブルーリア』など。電話してくる何人かが、わたしの声を聞いて息を呑む(気配がします)。ウィキペディアに「男性」とあるせいですが、じつは女です。ヘブライ文学は競争の少ない世界なので、興味のある方、大歓迎。エルサレムへ留学の道もあるし、わたしの蔵書や資料もさしあげます。

■わたしがくりかえし読む本
杉山平一の詩集。平易な言葉で、ふつうの暮らしのスケッチを心に沁みいるように描いていて、昨年(2012年)97歳で亡くなった詩人の、山あり谷ありの人生を、その詩をとおして思う。ひとつだけ、記しておきたい(『杉山平一詩集』土曜美術社より)

 「不在」

 お隣りは 遠くへ
 引越して行ったのに

 シーンとした空家にむかって
 幼ない女の子が呼びかけている

 きいくちゃーん
 あーそおびましょおおー

 ゆるやかに うたうように
 信ずるものの澄みきった声で
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●註
「子どものころの思い出」ではないため、〈番外編〉とさせていただきました。今後も、このかたちでご紹介させていただくものがあると思います。

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●ここに出てくる本

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『あのころは
 フリードリヒがいた』
●ハンス・ペーター・リヒター/作
上田真而子/訳
岩波少年文庫

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『杉山平一詩集
●杉山平一/著
土曜美術社