ひこ・田中

『ロビンソン・クルーソー』や『宝島』のような外へ出て行く冒険物は、嫌いではありませんが、積極的に好きでもありませんでした。本で読むより、頭の中で好き勝手に考える方が冒険はずっと楽しかったからです。
一方『小公女』の世界は、日常の中に冒険が飛び込んできてくれます。なおかつ女の子の日常は、自分と同じようでいて微妙に何かが違うことにも惹かれていました。だからといってセーラに恋愛感情を抱いていたわけではなく、むしろ彼女になりきっていたのです。セーラはプリキュアやセーラー・ムーンのように魔法を発動するわけでもなく、想像力で苦難と立ち向かい、最後には言葉でミンチン先生に強烈な一撃をくらわせます。私はその凛とした姿に憧れました。
最後に棚ぼた式の幸せが訪れるのは、いささか御都合主義ですが、そう思うのは大人になってからで、子ども時代はそのこともうれしかったのでした。
後に『小公女セーラ』のタイトルでアニメ化(「ハウス世界名作劇場」1985年)されたとき、セーラは女の子にあまり人気がありませんでした。理由はなまいきだから。え、自分の意見をはっきり言う子をなまいきと思うのだと少々驚きました。いつのまにか、セーラは女の子にとって鬱陶しい(空気を読めない?)存在と見なされるようになってしまっていたわけです。だからたぶん、ジョー・マーチ(『若草物語』)やジルーシャ・アボット(『あしながおじさん』)なんかは、この国の女の子にとってはとんでもなくうざい女の子なんでしょう。おそらくそれはこの国が抱える問題の一つを照射しています。

●ひこ・田中(ひこ・たなか)
大阪府生まれ。1990年『お引越し』で第1回椋鳩十児童文学賞受賞。相米慎二により映画化。1997年『ごめん』で第44回産経児童出版文化賞JR賞受賞。『レッツとネコさん』 (そうえん社)。『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』(光文社新書)


■わたしがくりかえし読む本
大人になってからは資料チェックを除いて、本は繰り返し読みません。その時間があれば新しい本を読みます。


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●ここに出てくる本



『小公女』
●フランシス・ホジソン・バーネット/作
●エセル・フランクリン・ベッツ/絵
●高楼方子/訳
●福音館書店