第2回

さて、第2回目は、湖水地方です。

この地で少年時代をすごしたアーサー・ランサムは、その宝物のような思い出を『ツバメ号とアマゾン号』シリーズとして描きました。『ツバメ号とアマゾン号』に始まる「アーサー・ランサム全集」は1960年代に次々と翻訳され、はるか離れた地に暮らす日本の子どもたちも主人公たちの冒険に憧れました。湖上の帆走、島のキャンプ、山の鉱山探検、冬の湖でのスケート……私も憧れをつのらせた子どものひとりでした。
今回、その舞台に身をおいてみて、ランサムが見せてくれた世界と異なるものは何ひとつありませんでした。心に描いていた世界が、そこにそのままありました。「ああ、こういうことだったんだ」と、長年の疑問が解けたこともたくさんありました。
でも、どこかちょっとちがうような気もしました。それは、ランサムが描いた小さなカット(彼は絵も描ける人でした)からのぞいていた小窓が一気に広がって、湖も草原も林もいっぺんにつながった……そんなとまどいや、新鮮な驚きや、発見でした。

*  *

私たちはランサムの舞台を訪ねて、ダーウェント湖、コニストン湖、ウィンダミア湖を巡りました。




コニストン湖から望む。右手にカンチェンジュンガが続く

今でこそ「湖水地方」という名称が一般的ですが、当時の「アーサー・ランサム全集」では「湖沼地方」と紹介されていました。湖と沼ということばから、「暗い森に囲まれた、人知れぬ沼」というイメージを抱いていたような気がします。行ってみて、なだらかな丘が続き、木も比較的まばらで、空が広く、明るいことに驚きました。湖から見わたすと、『ツバメの谷』で、AB船員のティティとボーイのロジャがふたりだけで踏破を試み、途中でロジャが足をくじいた道はあそこだと指させるほど、岸の様子がよく見えました。
陸と湖に段差があまりないことも、発見でした。『長い冬休み』で、ディックとドロシーが、そりに乗ったまま岸から一気に凍った湖に走り込む場面がありますが、たしかに、あれなら「がたん」という程度で湖に降りられるでしょう。

『長い冬休み』といえば、ディックが岩だなで動けなくなったヒツジを助け出す場面があります。すっかり弱っていたヒツジは、「左の肩のところに赤い斑点がある」ので、ディクソン農場のヒツジだとわかります。この赤い斑点は、体にペンキでつけてあります。びっくりするほど無造作に、そして大きく描いてあります。



上の写真には、体に赤いペンキと青のペンキをつけられたヒツジがいます。わかりますか?


ウィンダミア湖の艇庫

湖の岸辺に石づくりの艇庫があります。この「石づくり」ということが、子どもだった当時の私には理解できませんでした。石垣ならお城やお屋敷にありますが、石でできている家というのは思いつかない。大人になって知っている目で見ると、ランサムの描いているのはまさに石づくりの家です。子どものころはなんとなく木の家を想定していたように思います。『長い冬休み』に出てくる「天文台」など、絵を見ればたしかに石づくりです。しかも、ディックが石の隙間に大きな釘を打ちこんでいる場面さえあるのに、気づかなかったのです。





湖には、短い夏をヨットやカヌー、水泳で楽しむ人たちがたくさんいました。湖面をわたる風は冷たくて、私は長そでのシャツの上にヤッケを着ていたし、仲間のなかにはセーターを着込み、防寒用のズボンをはく人さえいました。それなのに、イギリスの人たちは、半袖半ズボンのままボートに乗ったり、泳いでいる人さえいるのです。日本人と彼らの体感温度は全然ちがうと、添乗員さんが説明してくださいました。
ジョンたちも毎朝、湖で泳いでいるけれど、こんなに寒いとは思いもよりませんでした。『ツバメ号とアマゾン号』で、ティティとロジャは水に潜って真珠とりごっこをしますが、日本人の子どもならまちがいなく唇が紫色になったでしょう。


ダーウェント湖。ダリエン岬のモデル

ダーウェント湖を船でいくと、左手にダリエン岬のモデルが見えます。大きな岩の上に松がまっすぐに生えていて、ランサムの絵のとおりです。この岬で子どもたちは湖に浮かぶ無人島を見つけ、島で自分たちだけでキャンプをしたいと願います。
ダーウェント湖のダリエン岬は湖からしか見えない絶好の甲羅干し場なので、のんびりくつろいでいる人がいます。でも、池田先生から「ダリエン岬のモデル」と聞かされると、みんなおかまいなしにカメラで激写。「すみません」と心でわびつつ、私もしっかり撮りました。


セント・ハーバート島

ダリエン岬の右手にあるのが、この島。ポターの『りすのナトキンのおはなし』のブラウンじいさまが棲む島のモデルです。毎年、秋になると、りすたちは小枝でいかだをつくり、それに乗ると、自分のしっぽを帆の代わりにして、湖をわたります。島に着くと、島の主であるフクロウのブラウンじいさまにお礼の品をさしあげて、その代わりに木の実を採らせてもらいます。そのモデルがこの島だというのです。ランサムとポターの作品のモデルを左右に見られるなんて、その幸運が信じられません。

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ランサムは、1884年に生まれ、1967年に83年の生涯を閉じました。ポターは、1866年に生まれ、1943年に77年の生涯を閉じています。年齢差は18歳。ともに湖水地方を愛し、ここを舞台に作品を生み出したふたりがどこかで出会っていないといえるでしょうか? 少なくともランサムは、ポターの作品を知っていたはずです。
それにしても、同じ湖水地方を舞台にしながら、ふたりはなんとちがった作品を創りあげたのでしょう。森や石垣や納屋に棲むウサギやネズミ、カエルやハリネズミにじっと目を凝らし、彼らの楽しく愉快で、時には深刻な生活を率直に描き、人間にはおざなりの興味しか示さなかったポター。一方、何人もの子どもたちを生き生きと描きわけ、帆走やキャンプ、天文や採掘など科学と冒険への憧れを誘ったランサム。どちらの作品も、子どもたちを、私たちを、本物の幸せで満たしてくれます。

●今回のお話に関係する本



アーサー・ランサム全集(12巻)
●アーサー・ランサム/作
岩田欣三・神宮輝夫/訳
●岩波書店




『ツバメ号とアマゾン号(上・下)
〈ランサム・サーガ1〉
●アーサー・ランサム/作
神宮輝夫/訳
●岩波少年文庫





『ツバメの谷(上・下)
〈ランサム・サーガ2〉
●アーサー・ランサム/作
神宮輝夫/訳
●岩波少年文庫





『長い冬休み(上・下)
〈ランサム・サーガ3〉
●アーサー・ランサム/作
神宮輝夫/訳
●岩波少年文庫




『ピーター・ラビットの
 おはなし』
●ビアトリクス・ポター/作・絵
いしいももこ/訳
●福音館書店





『りすのナトキンのおはなし』
●ビアトリクス・ポター/作・絵
いしいももこ/訳
●福音館書店