第2回

1 カラギョズとハジバット

ハジバットは、影絵芝居「カラギョズ」の主要人物のひとりで、カラギョズの相方である。「カラギョズとハジバット」と、基本的に二人一組で認識される。漫才やお笑いにボケとツッコミがあるように、このふたりも劇中でパターンを作りだし、それが「カラギョズ」の面白さにつながっている。ちょっと例えが古いかもしれないが、『ドリフの大爆笑』のような「お約束」の笑いが、オスマン朝時代から庶民を楽しませてきた。


人物が登場するまで、スクリーン上には「ギョステルメリッキ(予告絵)」が飾られている。本来は、上演内容を予告するもので、家、花、船、などの種類がある。写真は、タージェッティン氏のギョステルメリッキ


上演開始を知らせるアシ笛の音色が流れると、ギョステルメリッキはゆっくりと左右に振られながらスクリーンから遠ざかる

ボケの立場にあるカラギョズは、その存在自体で笑いを誘うが、ハジバットはツッコミに当たる狂言回し役で、仕事は多い。彼の仕事を追って行くと、「カラギョズ」がどのように構成されているかが見えてくる。

2 ハジバットから見る「カラギョズ」あれこれ

オスマン語で登場
カラギョズが無学で乱暴者とすれば、ハジバットはその逆である。まず、学がある。実は、登場人物の中で最初にスクリーンに登場するのが、ハジバット。登場すると、オスマン語の古典詩(ガゼル)をうたう。


ハジバット、軽やかにひらりと登場。タージェッティン氏のハジバットが歌うガゼルは、現代トルコ語で子どもたちに呼びかけるオリジナルのもの

オスマン語とは、1928年にトルコ共和国建国の父・アタトゥルクによって廃止されるまで使われていた、オスマン朝の公用語である。アラブ文字(右から左に書く、あのぐにゃぐにゃした文字のこと)表記でトルコ語を書く。中国語で日本語を書いた漢文を思い浮かべると、わかりやすいかもしれない。しかし、アラブ語やペルシャ語の単語も多く、実際に使っていたのは、支配階級や学者、詩人などの一部の知識人のみ。普通の庶民は、カラギョズのように、平易なトルコ語を話していた。


トルコ共和国初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタトゥルク。彼が、トルコ語表記を現代アルファベットに変える改革を行った。筆者にしてみれば大変にありがたい改革。なぜなら……


オスマン語はこんなことになっているからである。写真のものは手書きで、印刷されたものになるともう少し読みやすい。しかし、難しいことに変わりはない

この言葉で詩をうたうとは、ハジバットは相当に学がある。まず、「Hay Hak!(ハーイ ハック!/おお、神よ!)」と声を上げ、観客に向かってオスマン詩で語りかける。次に、スクリーンの向かって右手にある、カラギョズの家に向かって、「Yâr bana bir eğlence!(ヤール バナ ビル エーレンジェ!/友よ、私に楽しみを!)」と呼びかける。しかし、カラギョズは答えない。


いい気分で眠っていたカラギョズは、ハジバットにたたき起こされるも、「おれは眠い、じゃあな!」とひっこんでしまう。写真はその場面なので、カラギョズは寝間着姿

ハジバットは諦めず何回もしつこく、しかも大声で叫び続ける。あまりのうるささに、怒り狂ったカラギョズが家から飛び出し、ハジバットに体当たりをかまして、ふたりの応酬がスタートする。観客は、この瞬間を「来るぞ来るぞ」と待ち構えていて、カラギョズが、怒りのあまり何だかよく分からないことをわめきながら飛び出してくると、大爆笑となる。


少々分かりづらいが、カラギョズがハジバットに飛びかかった場面

口八丁で生きている
言いまちがいが多く、口下手ですぐに激怒するカラギョズとは違い、ハジバットは口から先に生まれてきたタイプ。カラギョズには理解できないオスマン語で、小難しいことを話しては、イライラしたカラギョズに殴られ、投げ飛ばされる。それでもめげずに、口八丁であやしい商売にカラギョズを引きずりこんだり、逃げ出した花嫁の身代わりをさせたりする。こうして、カラギョズを事件に巻き込むと、基本的にハジバットは一度退場。本編部分は、カラギョズのやりたい放題の独断場になる。しかし、手八丁なところもあり、自身も怪しい商売にからんで、本編に登場することもある。


何とかカラギョズを外へ誘い出そうと、あの手この手を試すハジバット。カラギョズは「やかましいわ!」とキレる寸前

本編が終わると、再びふたりが一緒に登場する。ここでもまた言い争い、殴り合いになる。ハジバットが捨てぜりふを残して退場すると、カラギョズが、聞き苦しい言葉を使ったこと、ハジバットとの争いで観客の皆さまに不愉快な思いをさせたことを謝罪。ここは、律儀でていねいなカラギョズが見られる。最後に大きく頭を下げて、次回の予告。スクリーンの明かりが消え、「カラギョズ」は終了する。

3 「カラギョズ」をいろどる登場人物

個性が際立った、正反対のふたり、カラギョズとハジバット。彼らの、メリハリのきいた存在とやりとりが、「カラギョズ」のおもしろさを支えている。
主役のふたり以外にも、多くの登場人物がいる。彼らは、色々な民族の出身だ。それが庶民が楽しむ劇の登場人物になるとは、オスマン朝の社会が非常に国際的で、多文化・多民族国家だったことがよくわかる。主な登場人物は、以下のとおり。

チェレビ イスタンブールのさる良家の放蕩息子。父の財産で暮らしている。良い服を着、イスタンブールの標準語で話す。詩の朗読が好き。


イスタンブールぼんぼんのチェレビ。人形はウール・ギョクタシュの作。雑誌『ターリヒ』107号50ページ
(©Türkiye Ekonomik Toplumsal Tarih Vakfı/トルコ社会経済歴史基金)

ティルヤーキ 麻薬中毒者。何人かわからない放浪者。

カスタモヌ 大男。名前はヒンメット・アー、または、ヒンメット・ダユ(ヒンメット兄貴)。カスタモヌ(トルコ黒海沿岸の都市)方言で話す。


カスタモヌ出身のヒンメット・アー。斧を担いでいる(タージェッティン氏の見本帳より)

カイセリ 名前はマユスオウル。いつも卵の入ったかごを下げている。干し肉屋か雑貨屋。カイセリ(トルコ中央部の都市)の方言で話す。

トゥズスズ 本名は、トゥズスズ・デリ・ベキル。出会った人全員にケンカをけしかける無頼者。常にだれかを脅迫している。

ラズ人 黒海沿岸の国々にまたがって暮らす民族。非常に早口で話し、熱しやすく冷めやすい。小さなバイオリンを持って登場することが多い。


トゥズスズ(右)はナイフを持って、いささか物騒。ラズ人(左)はバイオリンを持っている。人形はウール・ギョクタシュの作。雑誌『ターリヒ』107号66ページ
(©Türkiye Ekonomik Toplumsal Tarih Vakfı/トルコ社会経済歴史基金)

クルド人 中東の各国にまたがってくらす民族。劇中では、力仕事にたずさわる人物として描かれることが多い。ブロークンなトルコ語を話す。

アジェム イラン人。イラン、アゼルバイジャンからやってきた。絨毯商、高利貸、骨董商として登場。娯楽が大好きで、楽しむためには金を惜しまない。


アジェム(イラン人)。杖を持ったタイプで、「杖つきのアジェム」と言われる(タージェッティン氏の見本帳より)

アラップ アラブ人。クナ(へナ)、コーヒー、ピスタチオの商人。女中役や下男役としても登場する。


アラップ(アラブ人)。肌が浅黒く作られる。肌の色の白いタイプもある(タージェッティン氏の見本帳より)

アルナヴット アルバニア人。無学で攻撃的。無頼をよそおっているが、いざとなると逃げ出してしまう。庭師、臓物専門店、森番などをしている。気が短く、すぐに武器を取ろうとする。


アルナヴット(アルバニア人)。身につけているのは、アルバニアの民族衣装・フスタネーラ。今日でも、アルバニア親衛隊の制服として残っている(タージェッティン氏の見本帳より)

ヤフディ ユダヤ人。信仰深い交渉屋。骨董商、両替商、高利貸として描かれる。臆病ですぐに大騒ぎをする。

フレンキ・ルム ギリシャ人。医師、酒場の主人、仕立屋、商人として登場する。ギリシャ語を織り交ぜて話す。

エルメニ アルメニア人。音楽や詩などの芸術を好む。金細工師、水路や下水道職人として登場する。
ゼンネ:女性全般のこと。芝居の内容によって、役柄を変えて登場する。「子連れゼンネ」など、数種類の人形がある。


ゼンネ(女性)。着飾った若いタイプのゼンネ(タージェッティン氏の見本帳より)


子持ちゼンネ。ふたりの子どもを連れた母親タイプ(タージェッティン氏の見本帳より)

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次回は、カラギョズとハジバットの影絵のもとになった伝説や、実在の人物として文書に残る、ふたりの記録などを紹介する。