第35回
1.Neydik N’olduk Ailesi /『“何から何になったの”一家』
ネスリハン・アジュが、ふってわいた困難を力を合わせて乗りこえる家族の姿を描く。都会で裕福でスタイリッシュな生活を送っていたある一家が、村の自然に近い生活へとなじんでいく姿を、リアリズムを用いて、しかし楽しさを忘れずに表現している。
小学校高学年以上推奨。
イスタンブルで、裕福でスタイリッシュな生活を送るギュムシュソイ一家。父親のエンギン氏はインテリアの仕事をしている。母親のセヴァル夫人と長女のブルジュは、好きなだけ散財して優越感に浸る毎日だ。クレジットカード、数台の車、豪邸、宝石、私立学校、それに豪華な海外旅行……。次女のエリフは12歳。母や姉の買い物はばかばかしいと思っている。それに、ふたりの機嫌がいいのは買い物をしているときだけだから、本当はふたりともあまり幸せじゃないんだろうな、とも思っている。
その日は、ギュムシュソイ一家にとって何の変哲もないふつうの日だった。ところが買いものをしようとするとクレジットカードが使えない。さらに、3人が家に帰ってくるとエンギン氏が待ちかまえていた。そして「すぐに荷づくりをするんだ!」と言う。「弁護士が来る! やつらがふみこんでくる、急いで家を出るんだ!」とも。セヴァル夫人とブルジュは散々文句を言ったが、エンギン氏は強硬に言うことを聞かせた。エリフは、ちょっと肩をすくめただけだった。
一家は、こうして初めて村で暮らすことになる。しかし、都会の裕福な暮らしの習慣を身につけたまま、自然と木々の中で生活するのは一苦労だった。ただしエリフをのぞいて。
ドラマなども含め、トルコの作品には、生活が急転直下するものがよく見受けられる。トルコ人の好きなシチュエーションなのかもしれない。
2.Defalarca Kayboldum öyküler, anılar, şiirler
/『わたしは何度も姿を消した~物語、回想、詩』
31人の現代作家による青春時代をテーマにした、短編、自らの回想、詩などを編集者のミュレン・ベイカンが一冊にまとめた。青春時代の初めを意識して、この年代の子どもたちが、もしくはこの年代の作家自身が感じたこと、体験したことを若い読者たちにみずみずしく伝えるという企画。
中学生以上推奨。
ギュンウシュウ出版でおなじみの作家陣からも、アフメット・ビュケ、ミュゲ・イプリッキチ、ネジャティ・ギュンギョル、ネジャティ・トスネルらの名前が見える。また、トルコ文壇の第一線で活躍している、ジェリル・オケル(注:推理小説)、エリフ・シャファク(注:ベストセラー作家)、ムラト・ギュルソイ(注:文学賞多数受賞)、オヤ・バイダル(注:社会学者、作家)などの名前もならんでいる。
31人の最初は、ジャーナリストで作家のミネ・ソーウトゥ。本のタイトルと同じ「わたしは何度も姿を消した」という短編を寄せている。
「わたし」は、誰もいない森でいくども姿を消したことがある。最初は5歳のときだった。森の中で、1羽のフクロウに出会う。フクロウは「わたし」に「暗闇とは何か?」と問いかける。「わたし」は、「あなたのほうがよく知ってるでしょ」と答える。フクロウは「知らぬ」と言う。「暗い森で鳴くということと、森の暗さを知っているということは、同じではないのだ」。5歳の「わたし」とフクロウの問答は続いていく。
これまでのギュンウシュウ出版の活動の中で、多くの作家とともに仕事をしてきたと語る編集者のミュレン・ベイカンは前書きで、「トルコ文学界から31人の『若き心』をひとつにまとめました。それぞれのページにはさまざまなものが詰めこまれています。ほほ笑み、驚き、悲しみ。でも、どこにも希望があふれているのです。青春の秘密はこれです。希望、なのです」と述べている。