第39回
1.Altı Kırk Dört Dalgası /『6時44分の波』
ベヒチ・アクが、自身の分身ともいえる小説家「私」をとおして、作家の生活やその周囲にいる人々を語る。表紙などは、子どもたちに向けた色シリーズと同じだが、今作の内容は少し異なっている。
小学校中学年以上推奨。
みなさん、私は作家という職業がいかに素晴らしいものかを話すつもりはない。反対に、この職業に対してみなさんが抱いてきた素敵な想像などというものは、ゴミ箱に捨てちゃってくださいと言いたい。われわれ作家について、頭にうかんだ素敵なことをそのまま白い紙に書いているのだ、というみなさんの考えは知っている。私だって、子どものころはそう思っていた。
机に向かって、何のためらいもなく書かれるべき言葉を、おとなしく待っている紙の上に書きつけていけばいいのだ、と思っているでしょう? そんなに簡単だったらどんなにいいか!
さて人生には、非常に多くの「もの」が存在する、植物も人も。私がペンを手にしたとたん、そういった存在すべてが、この瞬間を待っていた! というように活動的になる。私の上にとびのって、足をもつれさせて、桃にしがみつく! 私が机に向かうのを阻止するため、ありとあらゆる手段を講じてくる。
それでも机についてイスに座れたとしよう。ペンを手にした、それともパソコンのキーに指を置いたとしよう。書くことというのは、簡単じゃないのである。
数学者メジュヌン氏、空想の中の犬をさがすドーアン、移動図書館とニギャルさん、母が恋しいシェフラザート……。次々と登場する人物を語りながら、ベヒチ・アク本人の創作の姿を描く。
タイトルの「6時44分」は、18時44分のこと。ベヒチ・アクはダッチャ(エーゲ海地方ムーラ県)の海岸で、毎晩6時44分に岸によせる波があることに気がついた。なぜか、いつも突然やってくるので、何も知らない観光客はずぶぬれになる。どうも毎日同じ時間に沖の方を通るフェリーが原因らしいのだが……。という、自身の体験を作品に入れこんだ。
2.Ev Değil Çarşamba Pazarı /『家じゃなくて水曜日の市場』
レイラ・ルハン・オクヤイが、とある家族にまきおこる大騒動を描く。タイトルの「水曜日の市場」とは、「ありとあらゆるものがあって、散らかっているようす」を意味する。
小学校中学年以上推奨。
シナンの母さんは学校の先生だ。ありがたいことにシナンが通うのとは別の学校だけれど、シナンの学校の先生たちとも仲がいいから、やったことがすぐにばれる。家に帰ったら、母さん、父さん、おじいちゃんからお説教の嵐だ。
シナンの家は、ぜんぶ母さんが動かしている。家事も、子どもたちの世話も。ところがある日、母さんが学校で足を骨折した。それからというもの家の中はひどいありさまだ。超高層ビルのように積み上がった洗っていない食器、あちこちに出没するアリ、洗濯物の山。それにくわえて、こっそり家に連れて帰ってきた小さな子猫が騒動を起こす。おまけにおじいちゃんは、絶対に動こうとしない頑固者。
シナンの家は「水曜日の市場」みたいにごちゃごちゃになってしまった。これはたまらない、と考えた家族は、母さんがよくなるまで家の中を何とかしようと奮闘を始める。