第4回

──児童文学というものは、各時代の子どもたちの生活に関わってくるものですから、「新しい時代の新しい子どもたちに向けて書かれたもの」という意識が、通常の小説などよりも強いと思われます。そんななかで、グリム童話、アンデルセン童話、前回のお話であげていただいた『小公子』などのいわゆるクラシック作品の扱いは、トルコではどうなのでしょうか?

セルピル・ウラル(以下、S・U) 忘れられた、もしくはもう出版されないということはありません。多くの出版社が、クラシック作品をいまでも届け続けています。

──児童文学は、時代ごとの社会の価値観を大きく反映します。たとえば、クラシック名作によく登場する「孤児院」のイメージは、現代のものと大きく異なります。そういった時代背景を子どもたちに理解させるのが難しい、という問題はありますか。もしくは、それは何らかのかたちで乗り越え、名作を現代に残す努力をしなくてはならないのでしょうか?

S・U 私は、クラシック作品はそのままのかたちで生き続けるべきだと考えます。なぜなら、質問にあったように、クラシック作品はその特定の時代を反映しているものだからです。子どもたちは、かつてのある時代には、今日と何がどのように異なっていたのかを知るべきです。それに、「今日となっては存在しないもの」を文章上で「読む」ことにより、想像力がより豊かになりますね。「時代とともに、この世界は動いて変わっていくのだ」ということを知るのは、とても重要です。

──それでは、トルコ児童文学において、翻訳児童文学から、表紙のデザイン、挿絵など、ビジュアルな面での影響はありましたか。あったとしたら、それが実現できたのはいつごろからでしょう。

S・U 児童文学の翻訳は、トルコが共和国になる以前からおこなわれていましたが、当時は表紙のデザインや挿絵などは、ほとんど重きがおかれていませんでした。翻訳児童文学から影響を受けた挿絵や表紙デザインの例のほとんどは、共和国(筆者注:1923年に共和国制が宣言された)になって以降のものになります。また、和国初期に発行された単行本や子ども向けの雑誌などに描かれた子どもたちの姿のなかには、金髪に青い瞳という西欧諸国に寄った子どもの絵が多く見られます。これは、共和国の初期の西欧化運動の一端を担ったもの、と言ってもいいでしょう。

──第二次世界大戦の前後で、翻訳作品の原作の国やジャンル、傾向などに変化はありましたか?

S・U 先ほどのクラシック作品だけではなく、その時代に書かれた「新しい」作品が翻訳・出版されるようになりました。

──トルコ文学には「農村文学」というジャンルがあって、ヨーロッパ的思想のひとつと結びつき、どちらかというとプロパガンダ的な働きのほうへと偏ってしまいましたが、児童文学でも「農村児童文学」と呼べるものは存在しますか? あるとしたら、それはどのような特徴をもつものでしょう。

S・U 児童文学では、一般的な文学のようにはっきりとした「農村文学」というジャンルと台頭した時代というものはありません。ただ、数人の作家が、農村の子どもたち、農村での彼らの生活を描いてはいます。作品数は少ないですが。たとえば、ジャーヒット・ウチュク(筆者注:1911~2004。トルコの女性作家)の『トルコの双子の兄弟』、ギュルテン・ダユオール(筆者注:1935~。トルコの女性作家)の『ファディッシュ』。主人公の少女の名前を冠したこの作品と、他数作があげられます。
トルコ児童文学では、「農村の子どもたち」よりも「農村から都会へ出てきた子どもたち」を描いた作品のほうがテーマとして選ばれる傾向にありますね。

──翻訳児童文学の特徴のひとつに、作品のなかに子どもたちの日常が描かれるということがあると思います。トルコの民衆社会が形成してきた人間観、モラル、慣習などがトルコ製の児童文学で描かれるようになったのはいつごろからですか?

S・U 共和国時代以前には、子どもたちのいつもの日常ではなく、あるべき理想的な生活が描かれ、理想的で形式的なとても礼儀正しい「良い子」が主人公でした。リアリズムにのっとった作家たちが、子どもたちとその生活を描くようになるのは、共和国時代に入ってからです。つまり、1920~30年代になってのことですね。具体的な作家の名前をあげるなら、ケマレッティン・トゥージュ(筆者注:1902~1996。多作で知られるトルコの作家)、ジャーヒット・ウチュク、ギュルテン・ダユオールなどでしょう。

──上記に引き続いてですが、児童文学にリアリズムが意識されるようになったのも、翻訳文学の影響だと思います。1940年以降に生まれた作家たちは、大人が理想を伝えようとする児童文学から、子どもの世界を舞台とすることで自分を表現しようとする手法へと切り替えました。その理由を、彼らが読んできた翻訳文学に求めることはできますか?

S・U そうですね、翻訳文学が理由と考えることもできます。しかし、いちばん大きな要因は、1940年代から子ども時代をすごした作家たちは、同時代にトルコで書かれた一般的な小説がリアリズムへと傾倒していくのを見ていたということです。彼らは、時代の傾向を敏感に感じとり、後の児童作品に反映させてのだと思います。

──ヨーロッパと隣接するトルコは、立地的に好条件だと思うのですが、たとえばハリー・ポッターシリーズのような世界的に「売れた」作品以外に、優れた児童文学作品を見出すには、現代のトルコ人作家、出版社は何をするべきと思いますか?

S・U 地の利があるとはいえ、地道な活動がやはりたいせつです。海外のブックフェアに参加し、出版物を分析する。文字メディア、インターネットを駆使して、重要な児童文学賞が、どの作家のどのような作品に与えられたのかを常に追い続ける。そして、それをトルコへきちんと紹介することですね。

──ありがとうございました。次回は、現代トルコ児童文学の問題点などについておうかがいしたいと思います。




Serpil URAL(セルピル・ウラル)

1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。


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