第4回



──児童・ヤングアダルト図書協会(ÇGYD)の設立以前と設立以後では、トルコ児童文学のありかたに変化は見られますか?

セルピル・ウラル(以下、S・U) 具体的な年数でいえば、1994年の協会設立以降、トルコの児童・ヤングアダルト作品におけるもっとも顕著な変化は、児童文学作家と挿絵画家──絵本作家もふくみます──、そして児童書出版社の増加でした。それはつまり、児童書作品、ヤングアダルト作品の「目に見える」数と種類が増えたということです。
その作家や挿絵画家、出版社などの「作り手」の側が子どもたちに近づいたという点から、作品の質が変化をしたといってもいいと思います。前にも述べたと思いますが、トルコの児童作品は現実主義的であり、「こうあるべき」という模範の手本としての「良い子」を描いたものが多かったのです。挿絵も同じですね。道徳的に良い子を表現するものでした。しかし、協会設立以降は、子どもたちの世界に近づき、彼らの視点に立った作品が送り出されるようになりました。トルコの子どもたちの具体的な日常──もちろん、非日常的な世界が描かれる作品もたくさんありますが──を作り手側が眺めることを知ったといえるでしょう。

──この、変化をうんだり、影響をおよぼしたりした協会の活動とは、どんなものでしたか?

S・U 多くの大学で、児童書に関するセミナーを開催しました。また、協会では毎年、その年の最高の児童作品・ヤングアダルト作品を選出することにしました。それから、出版社での児童作品・ヤングアダルト作品のコンテストも実施しました。
協会では多くの活動をおこなってきましたし、いまでも続けています。
もちろん、トルコの児童・ヤングアダルト作品の変化がすべて協会の活動によるものだとは思いません。また、これらの活動が、協会だけで実現できたとも考えていません。それでも、児童・ヤングアダルト図書協会の活動、ビジョン、問題提起に対して反応を示し意見を出してくれた方、活動に参加してくれた方、協会に協力をしてくれた方、そういった方々との連携が深まり、ネットワークが広がってきたことはたしかなのです。そして、その事実がトルコの児童・ヤングアダルト作品の世界を意識的にし、強化してきたのです。

──変化が目に見えるようになってきたのは、いつごろのことでしたか?

S・U 1980年代にはすでに萌芽はあったと思います。私の最初の作品は1979年に発表されましたし、この作品に的確な助言をあたえてくれた先生もいました。また、IBBYに表彰されたトルコ人作家や挿絵画家もいましたし、そもそも当時から児童図書協会をつくろうという動きはあったわけですから。
しかし、組織的な活動の成果がみのってトルコの出版界で児童・ヤングアダルト作品の強化がおこなわれ、その結果が数字として目に見えてきたのは、2000年以降のことだと思います。

──「組織的な活動」ということばが出ました。協会がこれまで実現してきた、トルコ国内外での児童・ヤングアダルト作品に関するプロジェクトがあれば教えてください。

S・U かなり多くのプロジェクトを企画してきました。国内外で実現したプロジェクトについておもなものをまとめて、次回にご説明したいと思います。

──よろしくお願いします。




Serpil URAL(セルピル・ウラル)

1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。


©Serpil URAL