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第5回


聖母子像のイコン
トーマス家には多忙な両親に代わって子どもたちの面倒を見、温かい料理を準備してくれる住み込みの家政婦さんがいた。何人も入れ替わった家政婦さんの中でもウクライナ人のマルタは特別だった。お母さんの自慢のモダンで機能的なキッチンを、雑然として温かく、スパイスの香りのするウクライナの田舎の台所のように変えてしまったマルタと、彼女が作るこってりした煮込み料理や甘いパイ。妹のジャネットは物おじせず思ったことを言える子だから、マルタにいつまでもここにいてほしい、と言った。しかし、引きこもりがちで感情をめったに表さない兄のグレゴリーは、同じことを思いながらそれを口にすることができなかった。ただ、グレゴリーはマルタがここで居心地がいいように、国を追われた亡命者のマルタが、この台所に自分の場所を見出せるように、心を尽くしたいと思ったのだった。

この物語は、やや自閉症的なところのある少年グレゴリーが、妹の助けを借りつつ、マルタのために聖母子像のイコンを、工夫を凝らして作りあげる過程を描いている。美術館を見て歩き、自分たちに手の届く材料を集める。切り抜いた絵の上に絵の具を載せ、ビーズをちりばめ、キャンディーの包み紙と帽子の端切れを張りつける。凝り性のグレゴリーの手先の器用さとこだわり、あけっぴろげなジャネットの交渉力がものをいった。様々な人の協力を得て、時には自分の大切なものを犠牲にして、マルタのための「いい場所」をかざるマリアさまのイコンができあがる。

ネコのルートル
子どもたちが細かな細かなものを作りあげるようすを描くのは、作者ルーマ・ゴッデンのお得意技である。そしてその創造の過程で、子どもたちが内面的にも、社会的にも、大きく変容していくというのも、ゴッデンがよく描く筋書きである。『人形の家』や『ディダゴイ』にも、そのテーマは多少なりとも描き出されている。しかし、ここで注目したいのは、だれにも心を許さず、自分の部屋に閉じこもり、他人と触れ合うことを嫌っていたグレゴリーが、イコンが完成に近づくにつれ、次第に心を開いていくようすを、ひそかに先取りし、そのストーリーを補強する役割を果たしているネコの存在である。

グレゴリーは眼鏡をかけた内向的な少年だ。今でいうところの高機能広汎性発達障害にあたるのかもしれない。彼は物静かで他人に興味を示さず、所有欲が強くて決して自分の部屋に人を入れない。母親とのスキンシップも避けていたし、大事にしているネコのルートルにすら、人が触ることを許さなかった。
ルートルはもと捨てネコで、小さいとき、ごみ箱をあさっていたのをグレゴリーが拾ってきたのだった。ルートルはグレゴリーの他には誰にもなつかず、彼だけのネコとなった。ここでグレゴリーは、初めて、自分以外の生き物に関心を示し、その命を救うという行動を起こしていたわけだ。家政婦としてマルタがやってきたとき、意外にもルートルは一目でマルタを気に入ってすり寄り、マルタもまたルートルを「モヤ・キャッチャ」と呼んで可愛がるようになる。言葉には出さないが、グレゴリーもまた、マルタが気に入り、やがて彼の世界には欠かせない人となるのだが、ルートルはそれをちゃんと見越していたといえるだろう。

マルタの「いい場所」
グレゴリーとルートルは非常に似ている。ひとりで、孤独を好み、気に入った人にしかなつかない。マルタとルートルも似ている。住みかを失い、捨てられるというひどくつらい経験をして、いまだにその傷を引きずっている。だれにも自分のものを差し出すことを知らないグレゴリーも、マルタにはルートルを触らせ、一緒に過ごすことを許した。ルートルはグレゴリーとマルタをつなぐきずなとなったのだ。
しかし、いまや捨てネコのルートルがグレゴリーのそばに自分の場所を見出したのに対し、マルタはまだこの家にすっかりなじんだわけではなかった。ここには「いい場所」がない、と彼女はいう。だから、グレゴリーは生まれて初めて、他人のために行動をとろうとする。マルタに「いい場所」を作ってあげようとして、グレゴリーはジャネットと共にウクライナ人の「いい場所」に不可欠なもの―神の御母マリア様のイコンを探し始める。
ジャネットは人なつこくて可愛い、兄とは対照的な子どもだったが、家族の中では一番グレゴリーを理解していた。グレゴリーにはない社交性と行動力で、ジャネットはグレゴリーの補佐を務める。
聖母子像のイコンとは、ただの絵ではない、神聖なものに向かって開かれている窓だ、と大英博物館で兄妹が出会った紳士は説明してくれた。だがマルタが求めているイコンは、宝石商で商われ、博物館に展示されているような高価な宝物ではない。マルタの故郷で、家々に飾られていたのは、刺繡をした布や宝石やビーズをちりばめた素朴な聖母子像のパネルだった。マルタに、イコンの説明をさせようと、グレゴリーがささやきかけた声は、母さえ聞いたことのない、人をいざなうような声だった。ジャネットはグレゴリーがルートルに話しかけるときにだけ、その声を出すことを知っていた。
兄妹は工夫を凝らしてイコンを作っている間、グレゴリーがやりかけているものの上に座りたがるルートルも、作りかけのイコンの上には決して座らなかった。ネコは知っていたのだろう、この仕事がどんなに大切なものかを。

家族として
やっとのことで、イコンが完成した。それを見て、あまりの感激に感謝と賛美の祈りと歌を、故郷の言葉で口にし始めたマルタの足元で、声に驚いたルートルは、かごから出てきて、家族みんなの足元に体をこすりつける。グレゴリーだけのものだったルートルが、家ネコとなったのだ。ルートルの、のどをならし、ごろごろいう声はマルタの祈りに加わって、不思議な言葉が台所を満たす。なにげないネコの描写が、グレゴリーの心の変化を物語っているといえるだろう。
「あなたはわたしたちをいれてくれたわ。グレゴリー、そして、あなたは出てきたのよ」お母さんはそういって泣いた。
ネコにしか心を許さず、ネコにしか触れなかった少年が、自ら手を差し出して、マルタの肩に触れ、マルタの孤独をいやそうと、自分の部屋から出てきたのだ。

気がつくと、100ページ程度のこの本の要所要所に、ネコの絵がさりげなく入っていることがわかる。挿絵画家のC・バーカーは、ほとんど人の顔も姿も描かないのだが、ネコの姿は繰り返し描いている。グレゴリーだけのルートルがマルタの「モヤ・キャッチャ」になり、さいごにイコンの完成とともに家族みんなに心を許すまで。だからルートルの最後の絵は、満足そうに顔を洗っているくつろいだ姿なのだ。

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『台所のマリアさま』
ルーマ・ゴッデン
猪熊葉子/訳
C・バーカー/絵 
評論社