第11回

「注文の多い料理店」
宮沢賢治の物語には動物がよく出てくるが、意外にイヌやネコは少ない。やっぱり森や山の動物が圧倒的に多いのだ。
けれども「注文の多い料理店」の主人は山猫だ。二人の都会風の紳士が獲物にも恵まれず山の中で道に迷い、出くわしたレストランは<山猫軒>。たくさんの扉ごとに、髪をきちんとして泥を落とせ、鉄砲とたまを置いて行け、ぼうしと外套とくつをとれ、壺のクリームを顔や手足に塗れ、お酢を頭に振りかけろ、塩を身体にもみこめ、とつぎつぎ注文を出される。おかしいと気づいた時には、主人が自分たちを料理して喰おうとナイフを構えて待ち受けていた。この話は小学校の教科書に採用され、様々な絵本になってよく知られている。
いくつもの扉をあけていくと、だんだんに不思議な世界へ誘い込まれていくという物語構成はスリル満点。だまされるバカな紳士たちはこっけいで、賢治童話の中でも愛読されているものだ。

山猫主人の料理法
この物語は一般的に、都会と山村の対立というテーマや、おごった人間に対する自然の復讐というテーマがあると読み解かれる。ただし、賢治の童話はそんなに簡単ではない。
姿を表わさない山猫軒の主人、山猫とはどんなネコなのだろう。いわゆるワイルド・キャットとしての野生のネコは、日本にはイリオモテヤマネコとツシマヤマネコの二種類しかいないといわれている。しかし賢治の物語に出てくる山猫は、他にも「猫の事務所」に判事として出てくるが、こういうワイルド・キャットではなさそうだ。飼われていたネコが野生化して山に居を定めている、そんな感じがする。そうだとすると、山猫軒主人はかつて人間に飼いならされていたネコが野生に還ったものであり、人間界と自然界のあいだを何度も越境した存在であることになる。
しかもこの山猫主人の傲慢な人間どもに仕返しをするための手法は、なかなか手が込んでいる。野生の動物は料理してものを食べたりはしない。料理という手法がいかに文化と結びついたものであるかは、文化人類学の知見がよく示している。
越境する山猫主人はかくして文化の褌で相撲を取る。ハイカラな西洋風えせ紳士は、やはり西洋料理で「料理」しようというわけだ。
皮をむき(というか衣類をはぎ)、棘を抜き(すなわち銃や危険物を取り去り)、きれいに洗い、クリームをなじませ、酢でしめて、塩もみをしてから、サラダ仕立て、もしくはフライにして、野菜のつけあわせと共に供する。しかも、食べられる客体に、下ごしらえを自らさせてしまうという見事な手腕。
ちょっと料理法に凝りすぎてしまったために、あと一足というところで材料に逃げられてしまったのは、山猫自身、策におぼれたというべきか。この物語の読みはなかなか一筋縄ではいかないのである。
紳士たちが連れていた猟犬たちは、深い山に入った時点で泡を吹いて倒れてしまっている。このイヌたちは息を吹き返して主人たちを救うことになっており、最後まで人間に飼い馴らされたまま、つまり自然から人間界へ行ってしまった動物である。
紳士たちが狩猟の目的としていたヤマドリやウサギは自然界の中にいる存在で、紳士たちにとっては単なる狩猟ゲームの対象物であり、お金で買っても代わりになるものとしてしか見られていない。紳士たちは、手なずけたイヌですら換金できるものとしてしか認識しておらず、そのあたりに人間の傲慢が描かれているということだろう。
だが、ここには人間にももう一種類が存在する。紳士たちを案内してきた専門の鉄砲うちだ。鉄砲うちは「専門」だから、鉄砲うちで生計を立てている。遊びで生き物の命を奪っているわけではない。生きるためなのだ。喰うか喰われるかは冗談ではないし遊びでもない。
紳士たちの顔がくしゃくしゃになったまま元に戻らないのも、山猫主人がついに食事にありつけなかったのも、お互いの世界でちょっとやり過ぎた、ということなのかな。

三毛猫の行方
「セロ弾きのゴーシュ」にもネコは登場する。今度は三毛猫だ。ゴーシュの家を訪ねてきてセロを弾いてくれと要求する動物たちは、ネコ、かっこう、たぬき、野ねずみ。ネコはトマトを持ってきて、トロイメライを弾いてくれと要求し、代わりに「インドの虎狩り」を聞かされて逃げ出す。かっこうはドレミファを練習に来て、追い出される。たぬきはいっしょにたいこの練習をし、野ねずみ親子は病気の治療にやってくる。ここで初めてゴーシュは自分のセロの音色と響きが、動物たちの病気の癒しになっていることを知る。
こうして動物たちと、はからずも練習をしたおかげで、ゴーシュのセロはすばらしく上達していた。だんだんに動物たちに対しても心を開き、思いやりを示すようにもなった。
逃げ出した時、ガラス窓にぶつかったかっこうのことを思い出し、すまなかったとつぶやくゴーシュ。
だけど、三毛猫はどうなったんだろう。ついぞトロイメライは聞かせてもらえず、追い出されただけだ。ゴーシュは思い出してもやらない。ネコの態度があまりにも悪かったせいだろうか。トロイメライを弾いて欲しがったのは、もしかしてネコの家族に、不眠症で悩んでいるものがいたからではあるまいか。ちょっと気になる最後である。







「注文の多い料理店」
「猫の事務所」
『宮沢賢治全集8』所収
 宮澤賢治
 ちくま文庫


「セロ弾きのゴーシュ」
『宮沢賢治全集7』所収
 宮沢賢治
 ちくま文庫