第12回

白いねこの役割
なぜこの物語に、おうむの他にねこが必要なのか、不思議に思っていた。白いおうむと白いねこは、ふっくりとしてすべすべとなめらかで白く暖かい、という意味でイメージ的に重複する。幻想的で、象徴的なこの物語の中で、白いおうむたちは、生きている人々が死んだ人を思って、死の国へと飛ばす想いの具現化として描かれている。では、そこで、白いねこはいったいどういう役割を担っているのだろうか。それはなぜ、ねこでなくてはならなかったのだろうか。

店頭にいる、コンニチワと話す白いおうむに心惹かれて、少女みずえは、白いねこのミーを連れて、スダア宝石店へ足繁く通っていた。みずえは、鳥はよみの国へのおつかいだときいたことがあった。宝石店の主人は、背の高いインド人で、そのおうむも店も、なんだか神秘的で、みずえにはこの話すおうむこそ、自分の想いを、よみの国に届けてくれる神秘の鳥ではないかと思えたのである。
実はみずえには、幼い頃に死んだ姉がいた。みずえがそのことを知った時には、もうすでに「夏子姉さん」はみずえより幼い写真の中の少女でしかなかったのである。もし、自分もよみの国へ、使いを飛ばせることができたなら。この世では会うことのかなわなかった姉に、おそろいのガラスの指輪を送ってあげたい。みずえはそんなことを思って、毎日「ナツコネエサン」ということばを教えようとしていた。

店主のインド人とも顔なじみになったある日のこと。とつぜん、店先から白いおうむが消えていた。おうむはどうしたのかと訊くみずえに、店主は、衝撃的なことばを投げつける。
「あんたのねこが食べたんだろ。 おうむの肉は、おいしいからね。」
宝石店のおうむは、店の名前と同じ、スダアという名前の、亡くなった婚約者のもとに、通わせるために、店主が飼っていた鳥だった。あのおうむがいないと、あのおうむがいないと。嘆くインド人の店主の悲しみと怒りは、みずえの心を打ったが、それよりなにより、みずえにとってショックだったのは、大事な大事な自分のねこのミーが、おうむを食べた、と言われたことだった。

みずえには到底信じられない。マンション生まれで小さい時から育ててきた、可愛いペットのねこが、まさか生きたおうむを食べるなんて。うそだ、うそだとくりかえすも、当のミーのようすが、なんだかおかしいのである。食欲がなく、だるそうにねむってばかりいて、いつもとは違う。みずえの心にも、もしかしてという疑念が浮かび上がってきたころ。
ミーが突然姿を消した。何日も戻ってこない。みずえははたと思い当る。あのインド人の店主が、おうむのかたきうちにさらっていったのではないかと。意を決したみずえは、しばらく避けていたスダア宝石店へ向かう。そして、おうむが止まっていた鉢植えのゴムの木のうらに、ミーを見つけた。みずえは、ミーを追いかけるような形で、そこにぽっかり開いている地下への階段を、どんどん、どんどん降りて行き、ようやっとたどり着いた闇の底で追いついたミーを抱き上げた。
すると、ミーはおうむの声で「コンニチワ」というではないか。ぎょっとして、肌がぞっととりはだたって、みずえはどさっとねこを取り落す。やっぱりほんとうだったんだ、ミーはおうむを食べたんだ

おうむを食べたねこ
ここまでかなりくわしく筋を追ってきたが、なんといってもこの物語の中で、ここに描かれる場面が、いかにみずえにとっても、また読者にとっても、ショックと嫌悪感をもたらすものであるかを、説明したかったからである。
自分と同じくらいの大きさの白いおうむを、可愛がっていたねこが喰らう。まさかそんなことがほんとうであるはずがない、と思いながらみずえの行動を追っていた読者は、おうむのことばを吐き出す白いねこの描写に愕然とするだろう。
「おうむの肉は、おいしいからね」というインド人の言葉を思い出し、すべすべした毛並みの、美しい白いねこが、実は肉食獣である、という事実を突き付けられるのだ。
<ああ いやだいやだ。ミーってば、おうむをたべたりして>
ぞっとして、抱いたねこをほおり出したみずえは、「死」というものの、残酷な形をこうして見せつけられる。

だが。おうむを喰らったためにおうむの力を得た白いねこは、こうやって地下の、よみの国へ、生身のみずえを連れてくることができたのであった。そこでみずえは、死んだ夏子姉さんに出会い、お父さんも、お母さんも、みんなが夏子姉さんの元に白いおうむを飛ばせていることを知る。
死んだ人々の国は、しかし、みずえの思っていたものとは程遠かった。生きている人々の想いである白いおうむたちが帰ってしまったあと、死んだ人々は、くらやみの野原の鬼や、谷のおおかみにおびやかされ、たましいを喰われてしまうことを恐れて、長い夜を過ごさねばならなくなるのだという。けれども、言い伝えによると、いつか、くらやみの中を光り輝いて、彼方のよろこびの国に案内してくれる、強くて勇敢なおうむが現れるという。
 
「あのねこはどうかしら」「道案内に、ねこをください」……
おうむの力とねこの性質をあわせもったミーに、願いを託した人々にせめよられ、悲鳴を上げたみずえは、ミーを抱いたまま、一目散に逃げ出して、階段を駆け上がり、ころびつまろびつ、命からがら、地上に駆け戻った。
もどってきたみずえを見つけたインド人は、そのねこを借りたい、自分も地下の国へ行って、死んだ婚約者スダアに、ルビーの指輪を渡したいのだ、と語る。初めは絶対に嫌だと拒絶していたみずえも、彼の話を聞くうちに、だんだん同情心が募り、絶対に帰ってくるのよ、と言い含めて、大事なミーを彼に貸した。インド人はミーを道案内に、深い階段を降りて行き
そして、インド人もねこも、二度と帰っては来なかった。みずえは何度もその階段を見に、宝石店を訪れるが、みずえが十二歳になったある日、いつのまにかその階段も消えてなくなってしまう。

死の国への案内役
白い鳥が魂の具現であったり、サイコポンプ魂の導き手であったりするのは、よく神話などにある典型である。この物語では、その白い鳥に、ねこという、しなやかで狩りをする能力を持つ、捕食性の獣の性質をあわせもたせた。死の国の鬼や狼に対峙するためには、鳥の力だけでは足りなかったのだ。そのような力を持った案内役を実現させるには、「おうむを食べる」という衝撃的な行動を取らせる必要があったのであろう。
また、読者は、主人公のみずえが、一度は死の国に行くものの、そのまま逃げ帰ってくるだけで、結局は死の国の命運がどうなったのか、知らぬままでいることに気づく。みずえは、実は、死の国を救う英雄ではなく、英雄に道案内役を与える役割を演じているに過ぎない。彼女は傍観者なのだ。
この物語を、死の国を脅威から救い、死者たちを解放する英雄の探求譚であると考えるなら、主人公の英雄はインド人であり、彼は少女から借り受けた「ねこ+おうむ」を連れて、異界へ、愛しい姫を救いに出かけたのだと読めるだろう。
しかし、読者はみずえの目からしか、物語を追うことを許されず、英雄が探究に成功したか否かは知らされない。そして愛するミーが持っていた、捕食性動物の残酷さを突きつけられた上、英雄のために、そのねこを捧げるという、探求譚であれば、脇役にすぎない少女の、驚きと悲しみと喪失こそが、「しろいおうむの森」の中心に据えられているのである。そして、そういった経験を忘却していくことで、彼女はおとなになっていくのである。

これまでも、様々な物語の中で、ねこという動物が、自然界と人間界の境界線を行き来したり、異界との間を介在したりする役割を務めるということは、何度も指摘してきた。「しろいおうむの森」に、やはりねこは必要だった。おうむにはない力を、おうむに与えるために。異界に介入するには、どれほどの痛みと犠牲を払わねばならないかを、幼い少女が理解するために。







『白いおうむの森』
 安房直子
 偕成社文庫