第3回

フレスコ画の並ぶ回廊の出口を抜けると、向かって右へ中庭に面した回廊がのびています。この回廊をはさんで、中庭と聖堂が向かい合っています。中庭に出なくても、教会の内部から聖堂には抜けられるのですが、大きな聖堂を正面から見たくて中庭に回りました。




©suzuki ikuko
中庭に面した回廊が右手にのびる



中庭に面した回廊を進むとすぐ、面白い十字架が現れました。横木と縦木が同じ長さのギリシャ十字の下から二本の矢印のようなものが弧を描いて伸びています。「錨つきの十字」とよばれているものです。船を係留しておくときに使う「錨」です。これは、聖ニコラウスが船乗りの守護聖人であることからきています。




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大理石に彫られた「錨つきの十字」。
聖ニコラウス教会はギリシャ正教なので、横木と縦木の長さが同じギリシャ十字を用いる



聖ニコラウスが人気のある聖人だったということは連載の一回目でお話ししました。その人気は、様々な身分や職業の守護聖人であることからもわかります。サンタクロースの始まりともされる聖ニコラウスは、子どもの守護聖人として有名ですが、その他にも、船乗り、パン職人、仕立て屋、機織り工、肉屋、公証人、弁護士、学生、乙女の守護聖人として信仰されています。


中でも船乗りの守護聖人として、多くの伝説や奇跡が伝わっています。


ある時、一隻の船が海で大嵐に遭いました。船は今にも沈みそうになり、船乗りたちは聖ニコラウスに祈ります。「神の僕、聖ニコラウス様。あなたのおうわさが本当ならば、俺たちに手をさしのべてください」。すると、聖ニコラウスが現れ、「あなたがたが呼んだので、やって来ましたよ」と言いました。聖ニコラウスが船の仕事を手伝うと、海はたちまち静まります。陸にもどってすぐ、船乗りたちが聖ニコラウスの教会へ向かうと、そこには船の上に現れたのと同じ姿の聖ニコラウスが待っていました。船乗りたちは、神と聖ニコラウスに感謝を奉げました。すると、聖ニコラウスは「私ではなく、あなたたちの神を信じる心が、あなたたちを助けたのです」と言いました。


フレスコ画の並ぶ回廊でお見せした写真があります。聖ニコラウスが船に乗っていました。あれが船乗りたちを守る聖人ニコラウスの姿です。


中庭は露天になっていいますが、かつてはここも屋根がかけられていたようです。本来は中庭ではなく、身廊に続くバシリカの一区画だったのだと思われます。ですから、聖堂をふり向くと、身廊にまっすぐ入るアーチが真ん中にあるのがわかります。




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中庭。発掘された柱などが並べられている




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聖堂の方を見る。内部は暗く外からだとよく見えないが、ちょうど正面に祭壇がある。
右上に伸びているのは、のちの時代に建てられた鐘楼


アーチを抜けて聖堂に入ります。天井は高く、典型的なバシリカの形をしています。アプシスには窓が設けられ、光が射しこみます。素人の写真ですとうまく表現できませんが、窓のところから明るさが広がっていくようで、当時の人たちは聖ニコラウスの光輪を見たのかもしれないと思いました。




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聖ニコラウスの日にはここで聖体拝領が行われる。
この日はギリシャから来た人たちが熱心に祈っていた



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側廊。本来は側廊の窓から光が射しこむようになっていた



祭壇はやはり大理石でできていて、柱に囲まれています。後方にトンネルのようなものが見えますが、何かはよく分かりませんでした。もしかしたら至聖所ではないか、と思います。アプシスを半ドーム型の至聖所、とご説明しましたが、至聖所にはもうひとつ意味があります。主教から認められた聖職者とその補助者だけが入ることを許された、聖なる場所がそうです。中には宝座(ほうざ)という祭壇があるそうですが、もちろんトンネル内に立ち入ることはできないので、私の浅い知識ではわからずじまいでした。




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アプシスの正面に立つ。まっすぐに窓の光がこちらに射してくる




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アプシスの下にあるので、恐らく至聖所ではないか、と考えたトンネル




そうして聖堂内をうろうろしているうちに、次々と団体客がやってきます。話している言葉の雰囲気からして、恐らくスペイン、次いでロシアの団体。アメリカかイギリスかわかりませんが、英語の団体。私たちが、教会に入ったときにもすでに別のロシア語の団体客がいました。いずれも20人から30人という大人数で、熱心に写真を撮り、真剣にガイドさんの話を聞いています。


ここでご紹介した中庭に出てからの写真は、人のいないすきを狙って撮るのに成功したものです。聖堂内部だけは、長いお祈りを続けていたギリシャの人たちが写ってしまいましたが。


皆さんの姿を見て、私たち日本人の大部分がサンタクロースとしてしか知らない聖ニコラウスが、聖ニコラウス自身として広く知られ、信仰の対象として存在しているのだ、ということを改めて感じました。


それがわかるのが、聖ニコラウスの棺、とされている大理石の棺です。横腹に大きな穴が開き、ふたの上に横たわる人物も破損しているのが残念です。この穴は、聖ニコラウスの遺体をイタリアのバーリに運ぶときに開けられたものだと言われています。現在、聖ニコラウスの遺体は、イタリアのバーリにある、同じく聖ニコラウス教会にまつられています。


ニコラウスの棺には近づくことができないため、皆さん、入場券に願い事や祈りの言葉を書いて、中に投げこんでいきます。写真にたくさん写っている小さな紙はゴミではなく、願い事が書かれた入場券です。





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聖ニコラウスのものと言われる大理石の棺。強化ガラスで囲まれている




どんどん団体客が入ってきたので、Fさんと「戻りますか」と話して、側廊へ出ます。フレスコ画の回廊ほどではありませんが、側廊や身廊でも見上げると、あちこちに、聖人たちの姿や聖書の場面らしきフレスコ画が残っています。聖堂の中も、フレスコ画であふれていたのかもしれません。今は聖堂内は、レンガ組みと漆喰の壁が見えるだけでした。




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側廊の小さいドームの天井に描かれている十字架




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そこここに聖人たちの姿が残る。薄れているのが残念




教会の建物を出ると、ここに来たぞ! という実感が急にしてきました。それが興奮に代わって、なんだか足がムズムズする感じです。その勢いのまま、「ミュージアムショップ、行ってもいいですか!」とFさんに聞くと、「どうぞ!」とお返事をいただいたので、中庭を見つつ、買い物をするべくミュージアムショップへ向かうことにしました。買い物を終えたら、すみやかに、聖ニコラウスが司教を務めていたミュラの町の遺跡へ向かうつもりです。





●著者紹介

鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。

帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。