第6回


「しっかし、香莉ってすんげえよな」


ゆっくり歩き出した、悠人が言う。


「ああ」


周平も、後に続きながらうなづく。


「あんなこと、へいっちゃらな顔してよく言えるよな」


「うん」


「もしかして、コーチ似?」


三人は、どんな場面でもあんまり表情を変えずひょうひょうとしている沢井コーチを思い浮かべた。


「顔は母さんで、性格は父さんか?」


「まあな」


周平と悠人の会話を聞いていた浩太が、


「戦争なんて……、今まで関係ないと思ってた」


と、つぶやくと、


「すぐそこにあったんだな、戦争」


と、周平が言う。


「留萌と釧路を結んだ北海道の北半分を、ソ連が占領しようとしてたって……」


香莉の話を思い出しながら、浩太が続ける。


「船が沈められたのが22日で、24日には留萌から上陸してこようとしてた……」


浩太のつぶやきを、悠人のでっかい声がさらっていく。


「そしたらおれたち、生まれてなかったんだぞ」


「ああ」


「それって……」


周平が言ったきり、三人は黙りこくってしまった。

本当は、もっと話し合わなければならないことがあった。

次の発表、どうする? お盆過ぎたら、海に入るなってどういうこと? ひっぱられるって、沈んだ船に乗っていた人たちにひっぱられるって言ってるの? なぜ、そんなことを言うの?

それを、話さなきゃならなかった。

でも三人は、黙ったまま交差点で別れた。

次の日学校へ行くと、悠人が浩太と周平のところに来て言った。


「じっちゃんに、鬼鹿(おにしか)で沈んだ船のこと知ってっか? って聞いてみたんだ。したら、じっちゃん知ってたぞ。じっちゃんはまだ生まれてなかったけど、母さんが言ってたことあるって。じっちゃんの母さん、おれのひいばあちゃんだけど、もうだいぶ前に亡くなってるんだ。でも、じっちゃん、『そいだば、滝下のばばちゃんに聞いてみれって』。たしかその時、鬼鹿の方に住んでて、船見て子ども連れて山に逃げたはずだって言うんだ」


「滝下のばばちゃん?」


「うん。おれの、ひいばあちゃんの友だち。98歳で、花岡に一人で住んでるって話だ」


花岡は、小平町(おびらちょう)の北の方にあるが、鬼鹿よりはずっと手前で浩太たちが住んでいる真砂町に近かった。


「98ちぃー?」


「すげぇっ」


「ぼけてんじゃねえの?」


「話、わかるか?」


「うーん、どうかなあ?」


悠人が、自信なさげに首をかしげる。


「花岡の、どの辺?」


周平は、地図のことになるとちょっとうるさい。


「バス停降りて、すぐだって言ってた」


「バスで、行く?」


と、浩太が聞くと?


「いや、花岡なら歩いて行ける。バス停二つだからな」


と、周平が言う。


「国道のトンネル抜けても行けるけど、トンネルはいやだから、しべ川超えて海をまわっていけばいいんだ」


「ふうん、『ゆったり館』の前通ってか?」


悠人が、聞く。


「うん」


「ゆったり館」は、町で唯一の温泉だ。海を見下ろせるレストランもあり、町外からもお客が来る人気の宿泊施設だ。


三人は、とにかく日曜日に滝下のばばちゃんの家へ行ってみることにした。

もっと早く行きたかったけど、土曜日は練習試合があってだめだった。


日曜日、朝の10時に「ゆったり館」の前で待ち合わせをして、三人は海沿いの道を歩いていた。

今日も、晴れている。このところずっと、雨がない。

トンネルを迂回する海沿いの道は、車もそんなに通らなくてどこまでいっても海だけだ。

4月なのに、もう夏みたいな日差しを照り返し、まるで鼻歌でも歌っているようなごきげんの海を見ていると、ここでたくさんの人が亡くなったなんてとても信じられない。


〈本当に、そんなことあったんだろうか〉


浩太が海を見ていると、周平が言った。


「悠人のじっちゃん、船のこと知ってんなら、『ひっぱられる』も知ってたんじゃねえの?」


「うん、俺もそう思って聞いてみたんだけど、やっぱり『んだかもしれねぇけど、わがんねぇ』って言うんだ。じっちゃん、あんまり深く考えないタイプだから」


悠人が答えるのを聞いて、浩太はなんだかおかしくなった。

いつも八百屋の店先に立っている、元気なじっちゃん。お客さんに冗談を言って、たいていガハハと笑ってる。たしかに、なんにも悩みがなさそうだ。


〈悠人と、おんなじ〉


浩太は、悠人の顔を見てくふっと笑った。そこが、悠人のいいところだ。

海風を受け、20分ほど歩くと道はぐるりと回り、またバスの通る国道に向かう。

その手前の左の道を上がると、滝下のばばちゃんの家があった。

ばばちゃんは、滝下カネと言った。

薄い水色のかっぽう着に日本手ぬぐいを頭に巻いて、ちょうど家の前の畑で草取りをしているところだった。


「おう、来たかや」


悠人のじっちゃんが電話をしといてくれたから、三人を見るとすぐにそう言ってくれた。

滝下のばばちゃんは、ちょっと腰の曲がったちっこいばあちゃんだった。

だけど、とても98には見えないほどしゃきーんとしてた。きっと150くらいまで生きるんじゃないかと、三人のだれもが思った。


「さ、あがれ」


ばばちゃんは、家の中に入れてくれた。


「これ、じっちゃんから」


悠人が、じっちゃんが持たせてくれたレモンをわたすとばばちゃんは、


「おう、これをハチミツにつけて飲むのが、楽しみなんだわ。おら、このおかげで長生きしてる。信(しん)さんに、いっつもありがとうって言っといてくれな」


と、うれしそうに言った。悠人のじっちゃんの名前は、杉原信一。

そして、


「おめえがキヌさんのひ孫か、おっぎくなったのう」


悠人を見て、目を細めた。

小高い丘の上にあるばばちゃんの家に入ると、大きな窓いっぱいに日本海が広がっていた。


「わあっ」


三人は、いっせいに窓に張りついた。


「すっげぇ」


「こういうの、なんていうんだっけ?」


「オーシャンビュー?」


「そう、そう、それ」


〈この景色、ばばちゃん毎日一人で見てるのか〉


浩太が思っていると、


「暑寒別岳(しょかんべつだけ)っ、きれいだぁ」


横で、周平がさけんだ。


「暑寒がきれいに見える次の日は天気がくずれるって昔からいうが、今は天気もすっかりくるっちまって、どうだかな?」


はしゃぐ三人の横で、ばばちゃんが腰をのばした。

それからばばちゃんは台所にひっこみ、さっき言ってたレモンをハチミツにつけたビンを持ってきてくれた。底にたまったシロップを、冷たい井戸水でうすめて飲む。


「お茶よりも、こっちの方がよかんべ? 水は、ちゃんと保健所の検査通ってるから大丈夫だど」


ばばちゃんは、頭の手ぬぐいをとってにっこり笑った。


「いただきまーっす」


歩きっぱなしで喉がからからだった三人は、大喜びで一気に飲み干した。

冷たいレモネードはほんのり甘くてすっぱくて、飲むとなんだか体の中がすっきりした。普通のジュースよりずっとうまかったと、後で母さんに話したら、それはレモネードっていうんだよと教えてくれた。

レモネードを三杯おかわりした、悠人が聞いた。


「ばばちゃん、鬼鹿の沖で沈んだ船見たってほんと?」


「ああ」


にこにこしながら見ていたばばちゃんは、手に持っていた手ぬぐいをテーブルの上において座り直した。


「それ、聞きに来たんだべ?」


三人は、そろってうなづいた。


「んだな。つれぇ話だもんで、あんまり言いたくねぇんだけどな。聞きたいなら、しかたねぇな。おらが話さなかったら、もう、話す人もねぇべもな」


そう言いながら、ばばちゃんはぽつりぽつりと話し始めた。


「その時はな、ここよりもうちょっと鬼鹿の方さ行った秀浦(ひでうら)っていうとこにいたんだわ」


ばばちゃんはしわだらけの手で、ほつれた髪をゆっくりとかき上げる。


「日本が戦争に負けたからよぉ、村はソ連が上陸してくるんでないかっていう話で持ちきりだったのさ。だからいつでも逃げれるように、おらも支度(したく)だけはしておいたんだわ」


ぼけてるとこなんて、一つもないばばちゃんの話に三人は聞きいった。



                               〈つづく〉
 






この浜に遺体は流れ着いた
撮影・北川浩一




泰東丸が消えた海
撮影・北川浩一




小平本町海岸 増毛町暑寒別岳が見える
撮影・北川浩一





●著者紹介

有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。