第1回

「あっ、すげっ。何だ、この貝?」


浩太は、今日も海に来ていた。

四月に入ったとはいえ、海の風はまだナイフのようにとがってる。

三十分もいるとほっぺはぴーんと張ってしびれ、耳はちぎれるかと思うほど痛い。

それでも浩太は、毎日浜に来る。

冬に閉ざされていた海が、春を祝うようにたくさんの貝を打ちあげるからだ。

ここは北海道の西北、日本海に面する留萌郡小平町(るもいぐんおびらちょう)の海岸だ。

遠くに、つき出すように暑寒別岳(しょかんべつだけ)がつらなって見える。まだ雪におおわれた山はだがくっきり見える。暑寒がきれいに見える日は、たいてい天気がくずれる。


「明日は、来れないかも」


北海道は、四月に入っても雪がふる。雪はへいっちゃらだが、雨だと風にじゃまされて傘をさせない。

春から四年生になる浩太は、毎年この時期浜に来て貝がらあつめをする。人が入らないせいか、波打ちぎわには美しい貝が打ち寄せられている。薄いピンクの二枚貝や、ちょっと見には砂粒にしか見えないほど小さな小さなホタテ貝。

ひろった貝は、持ち帰って綿をしきつめた箱に並べる。貝の名前など、調べるわけじゃない。宝石のように並べられた貝を、ただながめているのが好きだった。


「それにしても、こんなの見たことない」


手にした貝は、小さな口から茶色とベージュのうずをユニコーンの角のようにきゅっと巻きあげる。


「この辺の貝じゃないな。どこから流れて来たんだろう」


それは、いつか図鑑で見た南国の貝を思わせた。

思わぬ収穫に、浩太はうれしくなって砂浜をずんずん進んだ。


「でも、どうして貝がらだけが打ち上げられるのかな? 中身はどうしたんだろう?」


考えながら歩いているうちに、いつの間にかシベ川の河口に来ていた。

川をはさんで、丘がせまる。そこから先は、ゆき止まりだ。

何回も浜に来ているが、ここまで来たのは初めてだった。

雪解け水をあつめた灰色の川が、ごうごうとうなりをあげて海になだれ込む。

荒れ狂う川と、まだ色を持たない丘。とがった風と、一面に広がるにび色の海。ほかには何もない。

荒涼とした景色の中にぽつんと一人とり残されているのに気がついて、浩太は急に恐くなって立ち止まった。


〈もう、帰らなきゃ〉


そう思った時、目の前に突然一人のおじいさんが現れた。


〈えっ、どこから来たの?〉


前には、川しかない。まるで、川の中から出てきたみたいだ。

おじいさんは、うつむいてゆっくり歩いてくる。

頭にはちまきをして網を背負っているから、どうやら漁師さんらしい。


〈川に入って漁をしていたの? こんな寒い日に?〉


でも、近づいてきたおじいさんの体も網もぬれてはいなかった。

浩太は、首をかしげた。


「ぼうず、あんまり海に来てるとひっぱられっぞ」


おじいさんは、通り過ぎながらしわがれた声でこう言った。

波に消されたおじいさんの声が、悲しい歌のようにとぎれとぎれに聞こえてくる。 


〈えっ?〉


浩太は、返事もできずにおじいさんを見送った。

おじいさんは、うつむいたままゆっくりと遠ざかっていく。


〈ひっぱられる? どういう意味だろう? 変なこと言うおじいさんだな〉


思いながら、浩太は数メートル先のシベ川のきわまですすんだ。おじいさんに会ったことで、せっかくここまで来たのだから砂浜の終わりを確かめておこうという気になったのだ。

川は何本ものすじに分かれ、運ばれた砂が扇のように広がっていた。


「これが社会科で習った、三角州っていうやつか」


感心しながら、ぬかるむ砂に気をつけあたりを見回す。


「やっぱり、何もない……」


おじいさんが使っていた、小舟でもあるのかと思ったのだ。

でも、そこには何もなかった。

浩太は、すぐに踵を返した。

追われているわけでもないのに、逃げるようにけんめいに砂をこぐ。

冷え切った体は言うことを聞いてくれず、こいでもこいでも思うように前に進まない。それどころか、逆に後ろにさがっているのではないかとさえ思える。

知らないうちに、ずいぶん遠くへ来たらしい。元来た民家のある海岸は、なかなか近づいてこなかった。


〈あのおじいさん、どこへ行ったのかな?〉


前方に目をこらすが、さっきすれ違ったばかりのおじいさんの姿はもうどこにもなかった。

夕飯の時、海岸で会ったおじいさんのことを父さんに聞いてみた。


「ひっぱられるなんて、どうしてそんなこと言うんだろう?」


父さんは、母さんと顔を見合わせ黙っていた。

浩太はしかたなく六年の宗太兄ちゃんをちらりと見たが、兄ちゃんは知らぬ顔でばりばりと音を立ててたくあんをかじってた。


「海にばかり行ってないで、ちゃんと四年生の準備をしろ」


浩太の気をそらすように、父さんが言った。


〈なんか、変な感じだな〉


と、思った時、


〈あっ〉 


浩太は、突然思い出した。

前に父さんが、


「お盆を過ぎたら、海に入ってはいけない」


と、言っていたのを。

浩太が、


「なぜ?」


と、聞いたら、


「ひっぱられるから」


父さんは、たしかそう言ったのだ。

〈つづく〉






増毛町舎熊(ましけちょうしゃぐま)海岸(北海道・西北日本海の浜)





増毛町舎熊(ましけちょうしゃぐま)海岸(北海道・西北日本海の浜)





●著者紹介

有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。