第5回


「うちにも何冊か本があって、父さんもずいぶん調べているみたい」


香莉が、言った。


〈えっ、沢井コーチそんなことまでやってるの? サッカーの指導して、アンモナイト採りに行って……。マルチだな。ほんとに、いったいいつ働いてるんだろう?〉


浩太は、ガソリンスタンドでいつも忙しそうに動き回っている、香莉によく似たコーチの奥さんにちょっと同情した。


「父さんの話によると、ソ連は終戦直前の8月9日になって『お互いに戦争はしない』という日本との約束を破って、樺太(からふと)今のサハリンだけど、そこにあった国境を超えていきなり攻め込んできたんだって」


香莉は、一つ一つ思い出すようにゆっくりと話し始めた。


「弾が飛び交う中をみんな必死で逃げて、男の人たちは残ってソ連と戦わなきゃならなかったから、女と子どもと老人だけ先に船に乗ったの。その船が、ここを通ったのよ」


「へぇ」


初めて聞く話に、みんなしいんとして聞き入っている。


「通った船は、三つ。1隻目の小笠原丸は増毛町(ましけちょう)の別苅(べつかり)沖で攻撃され、2隻目と3隻目は鬼鹿(おにしか)沖」


「おにしか?」


「おにしかって……」


みんなは、顔を見合わせ海の方を見る。鬼鹿は、小平町の北にある町だ。

具体的な地名が出ると、話がぐんと目の前に迫ってくる。


「2隻目の第二新興丸(しんこうまる)が攻撃されたのは、朝の5時ころ。魚雷で大穴を開けられ死人がたくさん出たけど、積んであった大砲で撃ち返して何とか沈まずに留萌(るもい)の港に逃げこんだ。でも3隻目の泰東丸(たいとうまる)は、大砲を積んでいなかった。だから、食堂のテーブルクロスを降参の白旗代わりに必死で振ったの。でも、無視されて大砲を撃ち込まれて真っ二つに折れて沈んだ。泰東丸は引き上げられていないから、まだこの海にたくさんの遺骨と一緒に沈んでいる」


〈ひえぇ……〉


恐がりの礼奈(れいな)が、頭を抱えた。


「乗っていたのは780人。ぐうぜん通りかかった軍艦(ぐんかん)に拾い上げられて助かったのが113人だから、亡くなったのは667人。小平町(おびらちょう)の花岡から苫前町(とままえちょう)の力昼(りきびる)、それから焼尻島(やぎしりとう)まで、この辺一帯の海岸に流れ着いた遺体が56体。でもこれは、泰東丸と第二新興丸を合わせた数。第二新興丸は、留萌に逃げる途中なぜか一度ぐっと岸に寄ってきて、その時大きく傾いた船からばらばらと人が落ちていくのが見えたんだって」


香莉は、時々ノートを見ながら言った。


「うわぁん」


とうとう、礼奈が泣きだした。

枝里子先生がかけ寄って、「大丈夫、大丈夫」と背中をさする。


〈またかよ……〉


おれらは、礼奈の泣きべそにはもう慣れっこだった。


「三つの船合わせて、亡くなった人は1708人……」 


教室には、重たい空気が流れた。さすがに、沈黙が苦手の浩太もどうにもできなかった。


「あーっ」


その時、悠人がでっかい声を上げた。


「花田の番屋っ」


みんなが、いっせいに悠人を見る。


「花田の番屋の前に、三つの船がどうとか書いてあるやつ。あれって、これのこと?」


ピントはずれの悠人の声が、重い空気を一気にけちらす。さすがフォワード、キック力はんぱねぇ。

枝里子先生も、ふわりと笑って言った。


「そうよ。花田の番屋、道の駅の隣にある昔の鰊(にしん)の番屋ね。その前に、海に向かって黒い碑が建てられているでしょ。三船遭難慰霊の碑(さんせんそうなんいれいのひ)と言うの。この事件を忘れないために、そしてまだ海に眠っている人たちの霊をなぐさめるために建てられたのよ」


「へっぇー」


まるで、大発見でもしたみたいに悠人がうなづく。

周平が、悠人を見ながらぷっと吹きだす。

でも、浩太は悠人を笑えない。浩太もその時初めて、


〈そうだったのか〉


と、思ったからだ。

普段いくら見慣れていても、本当の意味を知らないと何もないのと同じなんだ。

悠人のおかげで一瞬ふっとゆるんだ教室の空気も、次の香莉の言葉でまたすぐに元にもどった。


「私、父さんの話聞いてて一番ショックだったのは、留萌と釧路を結んだ線から北はソ連になってたかもしれないってことだったの」


「へっ?」


〈いったい何を言い出すんだ、香莉〉


と、みんなが思った。


「ソ連は、留萌と釧路を結んだ北海道の北半分を占領しようとしてたのよ。24日には、留萌の港から上陸して来るはずだった。だから、留萌沖に潜水艦がいたのよ」


「えーっ」


あまりのことに、みんな言葉を失ってる。

礼奈も、泣くのをやめた。


「そうなったら、おじいちゃんやおばあちゃんも殺されて、父さんも母さんも生まれてなかった。当然、私たちだって……」


浩太は、いきなり海に突き落とされたような気がした。

誰も、何も言わない。

しーんと静まり返った教室で、みんなが息をひそめてた。

帰り道、周平が悠人に聞いた。


「知ってた?」


「香莉の言ったこと?」


「ああ」


「知らね」


「浩太は?」


「知らない」


「何でみんな隠すんだ? 大人は」


「隠してるのか?」


悠人が、周平に聞く。


「だって、子どもはほとんど知らないべ。香莉だって、今回コーチに聞いて初めて知ったんだろ。何でだ?」


「うーん」


3人は考え込んだ。

結局、今日の発表の時間は香莉の大演説で終わってしまった。

枝里子先生は、「他に何か調べてきた人は?」って聞いてたけど、とても何かを言い出せる雰囲気じゃなかった。

恐竜のこと言わなくていいのか? と思って敦也の方を見たけど、敦也は何も言わなかった。

この課題がはじまってから、何となく敦也とは一緒に帰りそびれてる。


「だけどよぉ、戦争って、いつの話だ?」


悠人の問いに、浩太も周平もはっきりとは答えられなかった。


「そうだよな。俺たちが生まれる、ずっと前だもな」


「ああ」


浩太が、うなづいた。


「だけど、終戦の年はわかるぞ。昭和20年、西暦でいうと1945年だ」


「えっ? 何で知ってんの?」


「浩太って、そんな頭良かったっけ?」


悠人と周平が、そろって浩太を見る。


「おまえら、失礼だぞ。おれを、誰だと思ってんだ」


浩太はちょっと胸をはって見せてから、


「うちのじいちゃんが、戦争が終わった次の年に生まれたんだ。だから、それから一つ引けばいい」


と、種あかしをした。


「なぁーんだ」


二人とも、拍子ぬけの顔をした。


「でもよぉ、昭和20年って……」


悠人がむずかしい顔をして考えはじめると、


「今は、令和2年だから……」


周平も、一緒になって指をおりはじめた。


「75年前だよ」


浩太が言うと、


「お、おぉー」


二人とも、目をみはる。


「だってじいちゃん、74だも」


「あ、あぁ」


「はい、はい」


上げたり下げたり、いそがしいやつらだ。


「だけど、大志も香莉も『ひっぱられる』については、何も言わなかったな」


「ああ」


浩太が周平にあいづちを打っていると、


「ちょっと、まてっ」


悠人が、ぴたりと足を止めた。


「何だよ」


浩太も周平も、つられて立ち止まる。


「お盆って、8月15日くらいだよな」


また、悠人の目が光ってる。どうやら今日は、悠人の発見の日らしい。


「ああ、8月13日から16日の4日間だ」


周平が、言う。さすが、寺の子。


「船が沈んだのが22日、お盆過ぎたら海に入るな。ということは……」


「えっ、ということは?」


周平の目も、大きくひらかれる。


「ひっぱられるって、海に沈んだ人にひっぱられるってこと?」


3人は、顔を見合わせた。


ざざぁー


海鳴りが、聞こえる。

潮をふくんだ、やわらかい風が通りすぎていく。


ざーん


ざーん


海鳴りは、何かを言いたそうにひびいてくる。 


「でも……、それって、ひどくね?」


浩太が、ぽつんとつぶやいた。


「そうだな」


「ひどいな」


周平と悠人が、答える。


「なーんか、変だよな」


「うん、なんか変だ」


晴れわたった空の下、3人は国道の向こうのいつもと変わらぬ海を見た。


〈つづく〉


参考資料

『海わたる聲』中尾則幸 星雲社

『慟哭の海』北海道新聞社編 

『海の中からの叫び』鈴木トミエ 北海道出版企画センター

『留萌沖三船遭難』福士廣志 留萌市教育委員会

特集『本土への道』萌陵第二十八号 北海道留萌高等学校生徒会

『証言・南樺太最後の十七日間』藤村建雄 潮書房光人新社

『流転』浅野清 文芸社

『海鳴りの伝言』浅野清 文芸のぼりべつ

『鎮魂ふたり旅』 吉本洋子

『青い島かげ』 吉本洋子


三船の攻撃地点 『海わたる聲』中尾則幸 星雲社 142Pより




北海道小平町




留萌市黄金岬から暑寒別岳を望む




三船遭難慰霊の碑





●著者紹介

有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。