第7回
「朝の5時くらい、だったかなあ? ドーンドーンって、でっかい音がしたのさ。それで目が覚めて。天売(てうり)、焼尻(やぎしり)の島の方から聞こえたから、なんだろうと思って外に出て海の方見たらガスがかかって何にも見えないのさ。で、7時くらいになったら、今度は岸に近づいてくるでっかい船が見えるもの。そしたら、誰かが叫んださ。『ソ連が来たー』って。こりゃあ、大変だと思ってね。父さんは、戦争にとられていないもの。おら、生まれたばかりの娘おんぶって、3歳の息子の手ひいて夢中で裏山に逃げたのさ」
ばばちゃんは、身振り手振りをまじえて話す。3人は、まるでそれが今、起こっているような気がした。
「ヤブこいで、ドングイの茂みの中さかくれて、何時間いたんだべか。ドングイの葉っぱのすきまから、海がよーぐ見えたぁ。そしたら、近づいてきてた船は、なんだか知らねえども、そのまま留萌の方さゆっくり進んで離れていくのさ。なんだか、ずんぶ傾いているようだったどもなぁ」
ばばちゃんは、そこでこくっと喉を鳴らしてレモネードを一口飲んだ。
「そいでも、ソ連が今くるか、今くるかと思ってねぇ。生きた心地がしねがったなぁ。浜に上がって来たら、もっと上さ逃げねばなんねえべさ。息子は泣くべし。家から持ってきたイモ食わして、なんとかなだめてたら、今度は海からドーンドーンってでっかい音が3つ鳴ってさぁ。なんだべと思って見たら、パーッて真っ白い水柱が上がってるのさ。そして船が真っ二つに割れて、ぐるぐる回りながらあっという間に沈んでいくんだ。たまげたなぁ。戦争終わったはずなのに、また新しい戦争はじまったんだべかと思ってねぇ。父さんが残していってくれた懐中時計見たら、10時ちょっと前だったなぁ」
3人は、顔を見合わせた。
〈ほんとだったんだ。この海で、起こったんだ。それを見た人が、ここにいる……〉
浩太は、ばばちゃんの話をいっしょうけんめいノートに書きとめた。勉強が得意なわけじゃないから、いつも真面目にノートなんかとらないけど、3人の中でその役目をするのは浩太しかいなかった。
「それから、近くにかくれてた人がどっかにたしかめに行ったんだべさねぇ。どうやら、貨物船が沈んだらしいって話になってね。ソ連が上陸してくる様子もないし、そいだばっていうんで、ようやく家に帰ったのさ」
ひざでも痛いのか、ばばちゃんは左のひざをゆっくりとなでる。
そして、3人を見て言った。
「おめぇら、まだ聞くか?」
3人は、そろってこくんとうなづいた。
「んだどもなぁ。こったら話、おめぇらに聞かせていいもんだべか……」
しわの中から、茶色い細い目が3人をじっと見る。
浩太は、思った。
「なんでひっぱられるって言うの?」って聞いた時の、父さんと母さんの目とおんなじだ。
「つれぇ話だど。もしかしたら、今晩、寝られんかもしれんど。それでも、聞くか?」
3人は、顔を見合わせた。
今晩、寝られない?
どんだけ恐い話なんだろう?
浩太は、ぶるっと身震いした。
すると、
「いいよ。大丈夫!」
周平が、いやにきっぱりと断言した。
さすが寺の子、どんとしてるっていうか、こういう話は慣れているのかな?
浩太も、悠人も、おっかなびっくりうなづいた。
ここまで来て、この先を聞かずに帰れない。
「うーん……」
ばばちゃんは、しばらくひざをさすって考えていたけど、
「んだば」
と、言って話しはじめた。
「その頃は、物もねえしよ。村では、仕方がないから自分たちで塩作ってたんだわ。海には、塩いっぺぇあるべ? だから海水汲んで、山さ運んでニシンの大釜(おおがま)で煮て、それ干して塩にしてたのさ。塩当番ってのがあってなぁ、みんな順番で作業したんだわ」
ばばちゃんは思い出すように話しながら、ひざをさするのをやめない。そのリズムに合わせるように、ゆっくりゆっくりと話した。
「塩当番で、浜さ行くべ? したらなぁ。番屋と言わず、漁船と言わず、どこもこもびっしりとカラスがたかっているのさ」
そこで、手ぬぐいをとった頭をていねいになでつける。
浩太は、浜をうめつくすカラスの大群を想像して、ごくんと唾を飲んだ。
「ぎゃーっ、ぎゃーって、ものすごい鳴き声あげて、波の音なんかなんも聞こえねえ。追っぱらっても追っぱらっても、きくもんでねぇ。浜に流れ着く遺体に、次々にとびかかってくるんだわ」
ごくん
となりで、悠人の唾を飲む音が聞こえる。
「1ヶ月くれぇかなぁ? いっぺぇ、流れ着いたんだどぉ」
そうだ、たしか香莉がそんなこと言ってたと思って、浩太はノートをめくった。ノートには、56という数字が書いてあった。
「海の遺体はなぁ、そりゃぁかわいそうなもんでさぁ。水吸ってぱんぱんにふくれるし、1週間も経てば髪の毛も抜け落ちるんだものなぁ……。おめぇらみたいちっちゃい子も何人もいたどぉ、教科書つめたランドセルしょって。日本へ帰るからって、おっかさんがいっちばんいい服着せてくれたんだべさ、きれぇな服きてなぁ」
気がつくと、浩太のノートをとる手はすっかり止まっていた。
「おらたち、遺体をむしろで包んでリヤカーで運んだんだ。名札つけてたり、持ち物があって身元がわかれば寺で供養できたども、わかんねぇ人はなぁ、裏山に穴掘って埋めたんだ……。」
ばばちゃんは、顔の前でしわだらけの手を合わせた。
ばばちゃんの話は、つづく。
「お腹の大きい女の人も、いたなぁ。海の中ずっとさまよってれば腐ってくるべさ。お腹から赤ちゃんの足が飛び出してなぁ、そこに潮虫(しおむし)ってちっちゃい虫がいっぺぇ張りついて食ってるのさ。とても、見てられなかったなぁ」
「……」
あまりの生々しさに、浩太はばばちゃんのところへ来たことをちょっと後悔した。
見ると、あんなにはっきり大丈夫! と言ってた周平の顔も青ざめている。
ばばちゃんはまだ、「ずっと後になってからも漁師の網に腕や足がかかったんだ」とか、「遺体の一部が骨になって流れ着いた」とか言ってたけど、浩太はもうほとんど頭に入らなかった。
3人は自分の飲んだレモネードのコップを洗うと、お礼を言ってそそくさとばばちゃんの家を出た。
だれも、何も言わなかった。
でも、来た時の海沿いの道は通らず、国道のトンネルを通った。
トンネルの中に、最後にばばちゃんの言った言葉が鳴り響く。
「おらあ、夏の海がきらいだぁ」
〈つづく〉
参考資料
『海わたる聲』中尾則幸 星雲社
『慟哭の海』北海道新聞社編
『海の中からの叫び』鈴木トミエ 北海道出版企画センター
『留萌沖三船遭難』福士廣志 留萌市教育委員会
特集『本土への道』萌陵第二十八号 北海道留萌高等学校生徒会
『証言・南樺太最後の十七日間』藤村建雄 潮書房光人新社
『流転』浅野清 文芸社
『海鳴りの伝言』浅野清 文芸のぼりべつ
『鎮魂ふたり旅』 吉本洋子
『青い島かげ』 吉本洋子