第8回


放課後、浩太は海にいた。

風は、なかった。


ぽちゃん


ぽちゃん


波うちぎわで、波が寝ぼけた音を立てる。

海面は、ビロードの布をひろげたみたいになめらかだ。

べた凪(なぎ)、というやつか。

水平線に天売(てうり)、焼尻(やぎしり)の兄弟島が青くかすんでる。

その右には、雪をのせた利尻富士(りしりふじ)が浮かんでる。

利尻島を、この辺では利尻富士と呼ぶ。

浩太は堤防に腰かけ、ぼんやりと海を見ていた。

日曜日に聞いた滝下のばばちゃんの話が、まだぐるぐると頭をまわってる。


〈ばばちゃん、何も、あそこまで言わなくても……。そりゃあ、ばばちゃんが「おめぇらに聞かせていいもんだべか……」って言った時、「いいよ」って言ったのはおれたちだけど、だけどさ、まさかこんなにひどい話だとは。子どもにそのまま言っちゃうなんて、ばばちゃんやっぱりボケてるのかな?……〉


浩太は、うらめしい気持ちでいっぱいだった。

今日の社会の時間の後に、周平と悠人が来て言った。


「お前、なんで発表しなかった?」


「だってさぁ、どう言えばいいんだよ? わかんないよ……」


浩太が、答えると、


「だよなあ」


悠人は、納得した。


「たしかに」


周平も、うなづく。

浩太は、今なら何となくわかる気がした。


「ひっぱられる」について聞いたとき、父さんと母さんの反応が変だったのが。


父さんと母さんは、知っていたんだ……。

と、いうことは、「ひっぱられる」って、やっぱり海に沈んだ人たちにひっぱられるって言うことだろうか?

浩太の頭の中は、どうどうめぐりだった。

今日の社会の発表は、敦也が一人で恐竜と化石の話をしていた。


「クビナガリュウの化石発見は札幌の男の人で、福島県いわき市、北海道穂別町に次ぐ国内3番目」「カモハシリュウの化石は、旭川の人。北海道初の発見だった」「あんな大きな恐竜が、僕たちの住んでいる町の地面歩いてたって思ったらすごくない?」「小平のアンモナイトは、渦巻きが綺麗だから、全国から研究者や愛好家が採集に来るんだ」……。


敦也はやっぱり、化石と恐竜が好きらしい。どうしても、化石を探しに行きたいのだ。


「小平小学校4年生、新化石発見」


そうなったらたしかにすごいけど、でも、全国から何人も探しに来てるならその人たちと同じことをするのはいやだなと思った。




水平線に並ぶ、兄弟島を見る。


「ドーンドーンって、天売、焼尻の方からでっかい音がして……」


ばばちゃんの話を、思い出す。

ほんとに、この海で起こったのか……。

ばばちゃんの話を聞いても、浩太はまだその事実を受け止められずにいた。

カレイ釣りだろうか。

今日も砂浜に、釣り人が出ている。

この人たち、どこから来るんだろう。

この海で起きたこと、知っているんだろうか?

暑寒別岳(しょかんべつだけ)の方を見ていると、釣り人の向こうで海に向かって座り込んでいる人がいる。


「あれ?」


肩に網をひっかけ、頭にはちまき……。


〈おじいさんだ!〉


浩太は、砂浜に飛び降り走り出した。

釣り人の、後ろを通る。

釣り人たちはおじいさんに気がつかないのか、知らん顔して釣りを続けてる。

浩太がたどり着くと、おじいさんは砂浜にひざまづき両手をあげて海に向かって叫んでた。


「許してくれろー。許してくれろー」


そして、両手を砂浜について額をこすりつける。

それを、何度もくり返す。


「許してくれろー。許してくれろー」


顔は見えないけど、おじいさんは何だか泣いているみたいだった。

浩太は、立ちすくんだ。

みんな見てるのに、こんなことして恥ずかしくないのだろうか。

釣り人を、ちらっと見る。

釣り人たちは、やっぱり知らん顔をして釣りをしている。

そのうちおじいさんが、むっくりと起き上がった。

くるりと海に背をむけ、浩太を無視して横をすり抜けていく。

家に帰るのだろうか?


〈待って、おじいさん。今日こそ、聞かなきゃ〉


浩太は、あわてて後を追った。


〈でも、もし泣いていたのだったら……〉


すぐに顔を見られるのは、いやだろう。

浩太はしばらく黙って、ついていくことにした。

おじいさんは背を丸め、ゆっくりゆっくり歩いていく。

磯舟の引き込み口を上り、民家のすき間を通り、右に曲がるとおじいさんはすっと姿を消した。


〈あっ、待って〉


浩太も急いで民家を抜け、右に曲がる。

そこに、一軒の家があった。

おじいさんは、ここへ入ったにちがいない。

おじいさんの姿は、もうどこにも見えない。

たぶんこの家だと思うけど、もしちがったら……。

浩太は、家の前をうろうろした。

表札を見ると、「丹野(たんの)」と書いてある。

しばらく家の前を行ったり来たりしてから、


〈明日、悠人と周平に相談してからにしよう〉


浩太は、また出なおすことに決め家に戻った。

翌日、二人に言うと、


「ついに見つけたのか!」


二人は、声を合わせた。


「どの家よ」


「コンビニの、もうちょっと行ったところ」


「えっ?香莉んちのそば? 沢井石油の近く?」


「ああ、まあ」


「なんちゅう、家?」


「丹野」


「知らねぇ」


同時に、首をかしげる。


「で、本当にそのおじいさんなの?」


周平が、聞く。


「うん、まちがいない」


「じゃあ、行ってみりゃあいいじゃないか」


悠人が、簡単なことだと言わんばかりに言う。


「そうだ、そうだ。おれらもついていくから、行こうぜ」


周平の一言で、三人はサッカーのない次の日におじいさんの家にいくことにした。

いつもの交差点で、待ち合わせる。

歩きながら、悠人が言う。


「だけど、おじいさん何で泣いてたんだ?」


「わからん」


「許してくれろーって? 何、あやまってんだ?」


周平が、思い出したように言った。


「そういやぁこの前、香莉がむずかしいこと言ってたよなぁ。泰東丸(たいとうまる)が沈んだのが朝で、捜索の船が出たのが夕方だったって。なぜそんなに時間がかかったのか、調べたいって」


この前の発表はほぼ敦也の恐竜で終わったけど、最後の最後に香莉が手を上げてそう言ったのだ。


「ああ、あの女、いっつもむずかしいこと言うよな。おれたちと、なーんか違うよな」


悠人が、言う。


「あの時は何言ってんのかわかんなかったけど、おじいさんが泣いてあやまってたってことは……、なんか、関係あんのか?」


周平が、聞く。


「うーん」


「わかんね」


浩太と悠人がつぶやいていると、コンビニを過ぎおじいさんの家に着いていた。


「ここ……」


浩太が言うと、


「丹野って書いてある」


悠人が言った。

だれが行くかでちょっともめてから、


「やっぱり、おまえが行くべきだろ」


と言われ、浩太は玄関の戸を開けた。


「ごめんくださーいっ」


「はい、はい」


60才くらいのおばさんが、出てきた。


「あのう、小平小学校4年の川村浩太って言います。この前海で会ったおじいさんに、話を聞きたくて来ました」


おばさんは、


「おじいさん……?」


と、首をかしげてから、


「ちょっと待っててね」


と、言って奥にひっこんだ。

玄関は広い土間で、左の部屋の戸が開けっ放しになっていて大きな仏壇が見える。

しばらく待っていると、今度は少し年上のおじさんが出てきた。おじいさんにちょっと顔が似てるようだけど、おじいさんじゃない。


「小平小学校4年の川村浩太です。この前海で会ったおじいさんに話を聞きたいんです」


浩太は、またくり返した。


「おじいさん……?」


おばさんと同じように、おじさんも首をかしげた。


「この前、海で会ったんです。タオルではちまきしてて、肩に網をかついで」


浩太は、必死に説明する。


「おれらは見てないけど、浩太が見た時一緒にいました」


周平と悠人が、加勢する。

おじさんは、おばさんと顔を見合わせている。


「たしか、この家に入っていったと思ったんですけど……」


浩太が言うと、おばさんが聞いた。


「それ、いつの話?」


「おとといです」


「海で会ったのは?」


おじさんが、聞く。


「初めて会ったのは、4月の初めかな? しべ川で、漁をしていたみたいです」


おじさんとおばさんが、また不思議そうに顔を見合わた。

沈黙が、流れる。

浩太は沈黙から逃れるように左の部屋をのぞいて、


「あっ」


声をあげた。






                               〈つづく〉








小平町文化交流センター「クビナガリュウ」の全身骨格模型
提供:小平町教育委員会





●著者紹介

有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。