第10回
「ほんとの話だもんだかなあ。私も、なかなか信じられなくてなあ」
茂治さんが、言った。
「船室にぽっかり穴があいてて、波が来るたんびに何人も流されていくんだろ? そこからどうやって、はいあがって来たんだろう? しかも、またその船室に戻って行ったって……。なあ?」
横で、奥さんの照子さんがうなづく。
悠人が、持っていた二個目の蒸しパンをそーっと皿にもどした。
「知り合いが、ぼう然としている奥さんに聞いたと。「あんた、その赤ん坊どうするんだ?」って。奥さんははっと我にかえって、『縁があっておあずかりしたのだから、大切に育てます』って、答えたそうだ」
茂治さんが黙ってしまうと、照子さんがかわりに話し出した。
「そのお母さん、自分の命はしかたないと思っても、その子だけはどうしても死なすわけにはいかなかったんだねえ。神様でも見てて、手をかしてくれたものかねえ? 不思議なことだ。どんなにか、自分の手で育てたかったろうにねえ」
照子さんは、エプロンで顔をおおった。
三人は、何も言えなかった。長い沈黙が、流れた。いくら沈黙が苦手の浩太も、黙ってその中にいるしかなかった。
「茂三じいさん、そのうち見てるだけではすまなくなって、自分もリヤカーで遺体を運んだって言ってたな。黒い靴をはいた片足が筵(むしろ)からはみ出て、ぶらんぶらん揺れる感触が今も頭から消えないって」
「うん、うん」
照子さんがエプロンから顔をはなして、あいづちを打つ。
「国もなあ、ひどいもんだ。何も、してくれないんだもなあ。どこかの大学の先生がずいぶんかかって調べて、とうとうソ連の潜水艦へ出された攻撃命令書まで見つけたのに、ソ連に調査の依頼一つしない。シベリアの抑留とか北方領土とか色々な問題があって、ソ連を刺激したくなかったのかもしれないけど、だけど同じ命だろ。こっちは名前もわからないまま、まだ海の底に放っておかれてるんだ。まるで、なかったことにされている」
茂治さんが、怒ったように言った。
「海上自衛隊がようやく調べに来たの、あれ、私ら高校三年の時だったかい?」
照子さんの言葉に、茂治さんがうなづいた。茂治さんと照子さんは、小学校からの同級生だ。
「あんまりひどいんじゃないかと遺族が厚生省に願い出てから、7年もたって。戦後30年だもの、何も見つかるはずないさな。昭和50年、1975年か。それから5年かかって調べたけど、沈没場所さえ見つけられなかった」
照子さんが、途中で口をはさんだ。
「私、あれ、どうもあやしいと思ってるんだ。本気で、見つける気あったんだろうか? だって、何人も目撃者がいたんだから、だいたいの場所はわかっていたはずじゃないの? 漁師の目視(もくし)って、正確だよ。それなのに、何も見つからないなんて、探したっていう格好だけつけるために来たみたいだったよねえ」
茂治さんは笑いながら、
「どうだかなあ。そこまで疑ったら、かわいそうだ。とにかく、5年は探してくれたんだから」
と、言いながら続けた。
「ちょうど同じ1975年に、力昼(りきびる)に埋葬されていた無縁仏三体の身元が奇跡的に判明してなあ、茂三じいさんは、それで目が覚めた。『おれたち30年もいったい何してたんだ、恥ずかしい』って言って、自分たちの手で泰東丸(たいとうまる)を見つけて遺族のもとに遺骨をかえしてやろうと、何人かで会をつくって探し始めたんだ。そして、ついに見つけた」
照子さんが、ひざを打った。
「ほらね、本気で探せば見つかるのよ」
照子さんの勢いにつられて、悠人も周平も身を乗り出す。
「同じ行動でも、心があるとないでは違うからな」
茂治さんも同調すると、照子さんは満足そうに笑った。
「泰東丸らしい沈没船が見つかったのが1981年、それから2年がかりで船内時計や高圧ケーブルやらを引き上げて、いよいよ泰東丸にまちがいないってわかったら急にマスコミが騒ぎ出してね。それで政府も黙っていられなくなって、最新機器を持ってまたやってきたけど遺骨は一つも見つからなかった。船体はもう半分以上、砂に深く埋まってしまっていたんだ」
ほうっ
みんなの口から、小さなため息がもれた。
茂治さんはしばらく黙ってから、
「じいさん……、もしまだ浜歩いているんだとしたら、やっぱり後悔してんだろうな。もっと早く、探してやるべきだったって」
ぽつんとつぶやいた。
「国を冷たいって責めるけども、泰東丸が沈んだ時すぐに船を出していたら、助かる命もたくさんあったはずなんだ。でも、しなかった。国と同じことを、私たちもしたんだ。それがわかってたから、話すことはできなかった」
その時、悠人が口を開いた。
「だって、行きたくても行けなかったんでしょ。そこに、ソ連の潜水艦がいるかもしれないんだから。行ったら、やられてしまう。それに、ソ連の飛行機だって飛んできたんだよね」
「そうなんだ。だけどな……。しなかったという後ろめたさは、なくならない。語らずにずっとそこから逃げるように生活してきたけど、忘れることはできなかったんだ。それが、『ひっぱられる』っていう言葉になったのかもしれないな。それとなく伝えようとしたんだ、自分たちのしたことと一緒に」
茂治さんは、言った。
「滝下のばばちゃんが、言ってたよ。あ、滝下のばばちゃんっていうのは、うちのじいちゃんの知り合いだけど。ばばちゃんはソ連が上陸してくるからって、裏山にずっとかくれていたんだって」
「そうだなあ、増毛(ましけ)みたいに、救命ボートでも岸に流れついて様子が少しでもわかったら助けにも行けたんだろうがなあ」
「国が冷たいのとは、絶対違うと思うよ」
悠人が言うと、茂治さんはほっとした顔をした。
「増毛といえばなあ、雑貨屋の村上さんというえらい人がいたんだ。戦争が終わった次の年から、村上さんの店にろうそくを買いに来る人が増えたんだと。それが男の人ばかりで、聞けば、増毛で沈んだ小笠原丸で奥さんや子どもを亡くした人たちだったんだ。その人たちには、たった一つの遺品も残されていない。あきらめきれずに、一人でずうっと海に座ってるんだと。奥さんや子どもの名前呼んでも、帰ってくるのは波の音ばかり。日が暮れるころ、しかたなく遺骨のかわりに浜の小石をひろって帰っていくんだと」
これは、はじめて聞く話だった。
「村上さんは気の毒に思って、その次の年から国やら町やらにかけ合ったそうだ。だけど、どこも相手にしてくれない。すると、今度は自分の全財産はたいて潜水夫を雇い遺骨をひきあげはじめたんだ。ずいぶんたくさんの遺族に、遺骨をかえしてやったっていうなあ。ほんとに、こういう時は人間の持ってる良さと悪さがはっきり出るもんだもなあ。売名行為だとか、船の部品をひきあげてお金にするんだとか、色々言う人はいたらしいが、村上さんはびくともしなかった。その話もじいさん知ってたから、なお自分を許せなかったんだろうなあ」
浩太は、海に向かって「許してくれろー。許してくれろー」と泣いていたおじいさんの姿を思い出した。
「泰東丸が沈んだ時、救命筏(いかだ)に一人で乗っていた男がいたそうだ。その男は、海に投げ出された人たちが必死で筏にすがりつこうとするのを、上がらせまいと長い棒で手を殴りつけてたっていうなあ。人間ってなあ。こういう状況に置かれたら、私はどっちだろうと時々考えるよ。筏の男のようには、なりたくないがなあ……」
照子さんも、話し出した。
「こういう話も、あるしょ。流れていた筏に子どもと一緒に助け上げられた奥さんがお礼を言ったら、そこに乗っていた18歳くらいの男の子なのかねえ、自分が助けたことをまったく覚えていなかったって。とっさの時に、出るんだねえ。私も、普段からちゃんとしなくちゃならないねえ。それに、あの女の子はかわいそうだったねえ。妹背負って板にしがみついてて、おぼれそうになってるのを見てみんなが妹を離しなさいって叫ぶのに、静かに首をふって妹と一緒に海の中に沈んでいったって。時ちゃんって、言ったかねえ」
照子さんは、またエプロンで顔をおおった。
部屋の中は、海の底のように静かになった。
「浩太君って、言ったかい?」
茂治さんが、浩太を見た。
「じいさんに会ってくれて、ありがとうな。さぞびっくりしただろうが、どうかわかってやってもらえないか? 私は、浩太君が来てくれて、話を聞かせてくれて、じいさんに会えたみたいでほんとにうれしかったよ」
茂治さんは、浩太に何度もお礼を言った。
照子さんも、エプロンで涙をふきながら頭を下げた。
茂治さんは、
「じいさん、私にはあらわれてくれないもなあ」
仏壇を見て、淋しそうにつぶやいた。
三人は、蒸しパンと牛乳のお礼を言って丹野さんの家を出た。
ほんの1時間くらいなのに、ずいぶん長いあいだそこにいたような気がした。
コンビニの前にさしかかった時、浩太はくるりと踵(きびす)をかえしかけ出した。
行かなければならない、と思った。海に。
悠人と周平に何も言わずにかけ出したから、二人がついてこなくてもしかたがないと思った。
丹野さんの家の脇道を通って、海に向かう。
夕方の砂浜は、もう人影は消えていた。
おじいさんの姿も、ない。
波打ち際まで来ると、浩太は砂の上にがくっと膝を折った。
〈おじいさん、なぜおれなの? どうしてあの時、あらわれたの?〉
胸の底から、わけのわからない感情がこみ上げる
気がつくと、浩太は海に向かい声をあげて泣いていた。
わーあっ
わーん
おうーんっ
浩太の声に、別の二つの声が混じる。 後ろに、悠人と周平が立っていた。 それは三人の声のようでもあり、海の向こうから響いてくる声のようでもあった。
〈つづく〉