Sola Presents

ジェームズ・フック船長


ジェームズ・フック船長(ピーターパン)


「ジェイムズ・フックよ、まんざら英雄でなくもない男よ、いざさらば!」
──孤独の痛手は、ワニに食わせろ

とにかく残忍で非道極まりなく、ワニに食べられて当然の悪役。でも、彼のそんな印象はウォルト・ディズニーの脚色によるもので、J. M.バリの原作に出てくるフック船長とは異なる。
フック船長がイギリスの超有名校イートン・カレッジの出身だということを知っている人が、どれくらいいるだろう? フックは、人一倍礼儀作法と身だしなみを気にし、海賊になって他者の船を略奪して以来ずっと同じ服装でいることが、いやでたまらない。力んでしゃべったあとは、襞襟を汚してしまったことに落胆する。そして、ときおり礼節をわきまえたふるまいをしようとしかけて、「学生時代、知らず知らずによい行儀が身についているのでなければ、社交クラブに入る資格がなかった」ことを思い出し、がっかりする。
そんな彼が執拗にピーターをつけねらったのはなぜか? ピーターという無垢なる魂のもつ自由さが、鼻もちならなかった。海賊になってもなおフックを縛る“大人としての見識や思考の枠”をいともたやすくとびこえて無効にしてしまう“こども性”が、がまんならなかったのだ。『ピーター・パン』(岩波少年文庫)には、「ピーターが生きている限り自分は檻の中のライオンで、スズメはその檻の中に自由に入ってくることができる」とある。
そもそも、「パン」とは古代ギリシア神話の牧羊神になぞらえたもので、自然と異教信仰と無道徳の象徴。フックがもちえなかった、あるいは捨てざるをえなかったものである。
実際、ディズニーの映像のなかでは勇敢で純粋な正義の味方のピーター・パンだが、原作では、子ども特有のわがままと気まぐれとうぬぼれを、しっかりともちあわせている。空からネバーランドに降りてくると、子どもたちに「あいさつをしろ」とどなる。ネバーランドの住人が多くなりすぎると、間引きする。仲間のうまいアイディアは、ちゃっかり自分のものにする。そして、
「本当に他の子どもと違う所は、最初の不当な扱いで受けた痛手から、何度でも立ち直ること。何度そんな目にあっても忘れてしまう。他の子はその痛手のために以前とすっかり同じ子どもではなくなってしまうのに」
対するフックは、ピーターが自分の腕をワニの餌にしてしまった痛手から立ち直れず、復讐に燃える。フックと闘ったことさえすぐに忘れてしまうピーターを相手に、だ。
痛手を忘れることで大人になることを拒否したピーターの孤独と、大人になっても痛手を消すことができずにいるフックの孤独。
ネバーランドには、単なる子どもの楽園ではなく、大人の世界との完全なる隔絶、強い拒否が横たわっているのだ。
さて、ピーターとの激しい(といっても、策略をしかけるのはピーターのほうだが)戦いの末、フックは勝てる希望を失くして「ただひとつのしあわせ」を切に願う。その「しあわせ」とは、一度でいいからピーターの「悪い行儀」を見てみたいということだった。誘いにのって足でフックを船べりから蹴落としたピーターに向かってあざわらった「行儀が悪いぞ」ということばが、フックの最期のセリフとなった。
「ジェイムズ・フックよ、まんざら英雄でなくもない男よ、いざさらば!」
悪役を気どったフックのせいいっぱいのプライドは、青い海の藻屑へと消えていった。(村中李衣)


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プロフィール


ジェームズ・フック船長

●悪行・罪状
殺人罪・傷害罪・傷害致死罪・監禁罪・脅迫罪・侮辱罪・強盗罪・恐喝罪・横領罪・建造物損壊罪・建造物損壊致傷罪

●職業
海賊(船長)

●国籍
イギリス

●年齢
不詳

●出身地
不明


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ジェームズ・フック船長



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