第2回

新学期が、始まった。

クラスは、三年からの持ち上がりだ。

悠人(ゆうと)と敦也(あつや)と周平(しゅうへい)は、二年の時からサッカー少年団でも一緒だ。

担任は、吉沢枝里子(よしざわえりこ)先生。

枝里子先生は、三十代で子どもが二人いる。

枝里子先生が初めて四年生の教室に入ってきた時、浩太は「よしっ」と思った。

枝里子先生は、おれたちがもめた時ちゃんと最後まで両方の話を聞いてくれる。何かを言うわけじゃなく、ただうなづいて聞いてるだけなんだけど、気づいたらおれたちは勝手に仲直りしてる。

どうして、いつもそうなるのかわからない。でも、隣のクラスの角バンよりずっといい。最初に会った時、おでこにでっかいバンソウコウを貼ってたから角バン。角田(かくた)先生なんか、「こらぁ!」と言ったらそれでおしまいだ。


「うっへぇ」


突然ななめ前の周平が、配られた時間割をひらひらさせてこっちを見た。


〈ん?〉


と、思って時間割を見ると、


「うわっ」


浩太も、思わず声をあげた。

週二回だった六時間授業が、四回に増えている。

五時間授業は月曜日だけで、あとは全部六時間だ。

ひえぇ、これじゃあ遊ぶ時間が全然ない。

うんざりしながら周平を見ていると、横から悠人が消しゴムのカスを飛ばしてきた。


〈このぉ〉


悠人に向かって、こぶしをふり上げる。一番前の席から敦也がふり向き、にたっと笑った。敦也は、成績がいい。六時間授業なんて、余裕らしい。


「あーあ」


やたらに目につく社会と理科を見ながら、浩太がため息をつくと、


「あんたたち、うるさいっ」


前の席の香莉(かおり)が、でっかい目でばかにしたようににらんで来た。

香莉は、国道にあるガソリンスタンドの娘だ。小さい頃から、香莉には運動でも勉強でもかなわなかった。

周平が、


「ぷっ」


と、吹いて、さっさと前を向く。

浩太は、髪を二つに分けて結んでる香莉の後頭部に向かって思いっきりしかめっ面を作った。




始業式の日は、午前で下校だ。


「ひっでぇな。いきなりかよ。おれたち、まだ四年だぞ。なんでこんなに勉強しなきゃならないんだ?」


帰り道、急に増えた授業時間に周平のぼやきが止まらない。


「社会と理科も、増えたしな」


浩太も言う。


「まあ、まあ」


悠人は、授業時間が増えても増えなくてもへっちゃらだ。運動神経だけで元気に生きてる、それが悠人。サッカー少年団では、最初から一人だけレギュラーだ。


「明日は、カレーコロッケとポパイサラダかぁ」


なんて、給食の献立表をひっぱり出してチェックしてる。

ずるいのは、敦也だ。頭がいいくせに運動神経も良くて、最近レギュラー入りした。浩太と周平は、まだ球ひろい。しかも、時々女の子に呼び止められてなんか渡されてる。背が高くて、顔がいい。そんなのぜったい不公平だ、と浩太は思う。


「今年も、枝里子先生でラッキー」


敦也は、すましてる。

いつもの四つ角に来ると、四人はそれぞれの道に分かれた。


「じゃあな」


今日はサッカーもないから、これでお別れだ。



昼ごはんをすませると、浩太はすぐに家から五分の海に走った。

浜には降りずに、堤防に座って海をながめる。

気温が、ぐんと上がってる。

どこまでも、ひろがる海。

やわらかい風に吹かれていると、心地いい。

浩太は、この前のおじいさんはいないかとあたりを見回した。

何本も釣りざおを立てて、砂浜にのんびり寝ころがっている人はいるけど、おじいさんの姿は見あたらなかった。



 ぴょーん



その時、いきなり波の上に魚が飛びだした。


〈えっ? カレイ?〉


おどろいた。


〈砂にもぐっているだけかと思ったら、あんなに高く飛びはねるんだ〉


初めて見た。


〈しかも、釣り糸のすぐとなり〉


なんだかおかしくて、くくっと笑ってしまった。

遠くの水平線で波が光をはね返し、夏の準備をはじめてる。


〈海って、いいな〉


浩太は、海が好きだった。



社会科の最初の時間に、枝里子先生が言った。


「去年は、とってもよく勉強したわね。わたし、感心したわ」


枝里子先生は、自分を「先生」と言ったことがない。「わたし」と言う。

そして、「感心したわ」という言葉をよく使う。

浩太は、言われるたびになんだか体がもちょこく(くすぐったく)なって、浜で風に吹かれているみたいに気持ちよくなってくる。

三年生では、「わたしたちの町」という単元で、「小平ふしぎ発見」をした。グループに分かれ、小平町でふしぎに思うことについて調べた。


「感心したわ」


って、枝里子先生が言うのもあたりまえさ。

みんなは、図書館で調べたり、いろんな人に聞きに行ったり、文化交流センターの展示室に何度も通ったりしてすんごくがんばった。おかげで三年生が終わる頃には、みんな小平町のことが大好きになっていた。

浩太は、悠人や周平と一緒に「小平しべ川が、なぜいつもにごってるか」について調べた。

しべ川は、アイヌ語の「オ・ピラ・ウシ(小文字のシ)・ペッ」(河口に崖のある川)」から名前がついたんだけど、川の周辺はほとんど砂岩や泥岩でできている。川ぶちや川底にもたくさんの砂や泥がたまっているから、それをけずって流れる川はいつもにごっているっていうわけだ。

でも、この川はアンモナイトや化石がよく見つかることで有名なんだ。上流の小平ダムの貯水池の小平しべ湖には、湖上橋としては北海道で一番長い滝見橋(たきみばし)もかかってる。

枝里子先生は、去年の秋の遠足で小平しべ湖に連れて行ってくれた。

駐車場には実物大のクビナガリュウのモニュメントがあって、滝見橋を渡るとカモハシリュウのモニュメントが見える。恐竜については敦也のグループが調べたんだけど、北海道で一番最初に恐竜の化石が発見されたのも小平なんだ。つまり、小平町には北海道で一番が二つもあるんだ。


「一生けんめい調べた町のことを、そのままにしておくのはもったいないわ。四年生では、その中の何か一つにしぼってもう少しくわしく調べてみない?」


枝里子先生が、言った。


「もっと知りたいテーマはある? 新しく、ふしぎに思ったことでもいいわ」


枝里子先生は、みんなに問いかける。肩までたらしたゆるいウエーブの髪が、ふわっとゆれる。


「うーん」


みんなは、それぞれに考えはじめた。

浩太は、この沈黙の時間がどうも苦手だった。何だかお尻がもぞもぞしてきて、落ちつかなくなる。


「はいっ」


浩太は、手をあげた。


「浩太くん」


枝里子先生が、指名する。


「うーんと、あのう」


「なに?」


枝里子先生が、にっこり笑う。

考えがあって、手をあげたわけじゃない。とりあえず、気まずい教室の空気をやぶりたかった。


「去年調べたことじゃないけど、それでもいい?」


「ええ」


枝里子先生は、うなづいた。


「おれ、この前海に行ったんだ。そしたらね、漁師のおじいさんに会ったの」


周平と悠人が、浩太を見る。


「そのおじいさんが、おれに言うんだ。『あんまり海に来てると、ひっぱられるぞ』って」


「ん?」


何人かが、顔をあげた。


「おれ、父さんにも『お盆すぎたら、海に入っちゃいけない』って言われてて。『なんで?』って聞いたことあるんだけど、そしたら父さんも『ひっぱられるから』って言ったんだ」


「あっ」


「おれも、ある」


「私も」


あちこちで、声がする。


「調べることとは違うかもしれないけど、それって何? って、今思ってるんだ」


枝里子先生の薄い茶色の目が、大きく開いて浩太をじっと見た。
 
                               〈つづく〉





小平しべ川河口
遠くに裾だけ見えているのが暑寒別岳
撮影・北川浩一





小平町望洋台からしべ川を見る
撮影・北川浩一





●著者紹介

有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。